日本脱出準備(3) 英語

筆者は自分の子供たちに『英語とできればもう一ヶ国語会話ができるレベル』を目指すように小さい頃から言っている。もちろん日本語もそれなりにだが。
英語教育の良し悪しがよく議論されるが、全くのナンセンスだ。
学者ではない限り、英語はその言語が素晴らしいから学ぶのではない。世界標準語(共通語)だから学ぶ(身に付ける)必要があるのだ。
少なくとも英語を身に付けておけば、インターネットの活用も楽になるし、世界中どんなところでもコミュニケーションが可能と言っても過言ではない。そもそも『痛い』『苦しい』程度を英語で言えなければ危機の際に自分を守ることすらできない。

元々英語は、フランス語やケルト語など複数の言語から合成された言語で、ある程度システマティックな文法になっている部分もあるが、外国語を積極的に取り入れたためか例外も多い。しかし、ドイツ語やロシア語に比べれば文法的にも簡単で、名詞、形容詞や動詞の変化も少なく、勉強は楽である。

とはいうものの、筆者も中学、高校では英語は嫌いな科目だった。
ある言語を身に付ける、会話ができる程度になるには、その言語で生活しているところに放り込まれるのが最も効果的で、日本の英語教育ではいくら頑張っても身にはつかない。nativeな発音なんぞ日本人には強烈に難しいからそんなものは目指さなくても良い。通じれば、通じなければ言い換えて通じれば良いのだ。
インド人やフランス人の英語なんかより日本人の英語はずっと丁寧だ。
冠詞を気にしたり、単数・複数を気にしたり、スペルを厳密に覚えたあの時代がいかに無駄、無意味なものだったかは大人になって仕事で使うようになってからよくわかった。
英語nativeでない筆者の友人でも、滅茶苦茶発音なども含めて上手なのにも関わらず、週の名前や月の名前すら英語で正確に書けない連中は珍しくない。
そんなものだ、現実は。
ところが、子供たちの学校の英語教育はいまだに同じである。
ALTなどもいるが(これは微々たる進歩か)、話せない英語教師に『ここはaじゃなくてtheです』などと指摘されても全くの時間の無駄だ。

筆者と同じように考える人が昔から多いにも関わらず日本の英語教育が読む、書く主体の無意味なもので留まっているのは政府の方針が原因だろうと思う。
会話主体で、どんどん外国とコミュニケーションが取れる人間が増えると、海外で暮らすことに大きな抵抗を感じることが減るわけで、ただでさえ日本の社会制度や経済状況に不満を感じる連中がどんどん日本を出て行ってしまう。これを恐れた政府は会話主体の英語教育を絶対に認めない方向なのだと感じる。読み書き主体で受験勉強で英語が嫌になるように誘導しているとしか思えない。
NHKでも何でもTVでは糞みたいに下手な同時通訳や翻訳字幕で一見日本人に優しいモノにしておいて、『日本人は日本語』のような潜在意識を植え付けているように思える。
しかし、仕事をするようになって、英文マニュアルなどがさっぱりわからないでは困ったことになるため、全く英語に無関心では経済競争で日本が負けてしまう。
結局、英語の必要性を何となく理解しつつも、コミュニケーションの道具としては役に立たないレベル、これが日本政府、文科省の目指すレベルなのだ。

日本語にこだわり大切にすることは確かに重要だが、英語を身に着けようとしない日本人は馬鹿である。英語は日本脱出に絶対に必要なものだ。

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