『秋田県民歌』と『秋田県民の歌』

22日の県議会運営委員会で、自民党が県議会定例会で『秋田県民歌』を歌うことを提案したところ賛否両論だったそうだ。
賛成した瀬田川議員(県民の声)は『秋田の素晴らしい郷土を称える歌だから賛成!』。一方、反対した石川ひとみ議員(社民党)は『なんで県民歌なの? なんで皆で歌わなきゃいけないの!?』と噛み付いたらしい。(発言は筆者の脚色)
まあ、左巻き・世界市民の社民党としては党の方向性に合った意見だろうが、これに対して、自民党大里議長が『1番だけでもいいっすよ』といった妥協案を示したものの、結局結論は得られなかったそうだ。

『秋田県民歌』と『秋田県民の歌』は調べてみるとなかなか興味深い。
県議会と県民歌については昔から時々『県民皆で歌おう』という提案が出ていて、1985年に自民党佐藤健一郎議員も本会議一般質問で提案している(本人談)。
他にも最近の県議会の議事録では、
2005年2月23日 小田嶋伝一議員
2009年9月17日 中泉松司議員
がそれぞれもっと積極的に歌おうと提案している。佐々木喜久治元知事が1985年どのような答弁をしたのかは記録が探せないが、その後の寺田、佐竹両知事はあまり積極的にこの歌を評価しない姿勢(本音はわからない)ながら、結局県庁ではチャイム代わりに流している。(始業時『県民の歌』、終業時『県民歌』)
この歌は実はいろいろな背景があり、あまりべた褒めしたり歌うことを奨励すると(端的に言って)思想的なものを問われるため歴代知事はあまり積極的な発言をしないようにしてきたように見える。

『秀麗無比なる鳥海山よ~』という著作権保護期間が満了したこの歌が作られたのは、昭和5年、つまり戦前である。現在の47都道府県で県民歌のようなものは大阪府を除いて全て制定されているのだが、戦前のものは秋田県だけである。他はほとんどが1950年代、1960年代に作られたもので、民主主義、自由主義といった戦後のアメリカンな思想を反映したものがほとんどで、戦前の教育を背景に作られたものが唯一秋田県民歌で、全都道府県で最も古いものなのだ。
秋田県民歌は昭和5年の制定だが、当時の時代背景は前年の世界恐慌、当時の秋田県の基幹産業だった木材産業の急激な凋落、昭和元年からの冷害、凶作の連続で農村では子女の身売りが多発したようだ。このため、当時の国体観念の重視、国民精神の高揚、国民生活改善といった国の方針に沿って、郷土教育を主眼に作られたのが秋田県民歌なのだ。

・教育勅語漠発40周年記念として公募された
・約1ヶ月という短期間の募集の結果、1等は該当無し、2等、3等、佳作合わせて5作品が選ばれた
・これら5作品を東京音楽学校に送り、歌詞訂正及び作曲の委嘱を行った
・これらの5作品の歌詞を融合させ、作詞 倉田政嗣、修正 高野辰之、作曲 秋田県出身者の成田為三によってわずか9日間で完成された

歌を作って国威発揚・郷土教育といった、作られた当時の暗い世相背景、不況など現代日本とどこか似ていて、選ばれた5作品はどれも、自然、歴史や先人の功績などが盛り込まれている。秋田県議会で話題になるのも不況の時勢と合致している。
この辺が、中道右派、右よりからは(恐らく懐古趣味もあって)好ましく思われ、反対に世界市民を標榜する左巻きバカ社民党など自虐史観の輩にとっては煙たいのだ。
ただ、社民党など左巻き勢力以外にもこの県民歌を善しとしない勢力もある。
戊辰戦争で新政府に『朝敵』とされた亀田藩(旧岩城町等)や南部藩(鹿角市の一部など)の領域だったところは3番の歌詞を善しとしない。そのため一般的に県民歌は3番、4番は公式の場では歌わないのが暗黙の了解事項である。

歌の最後の『~あ~き~た~』のあたりを大勢の合唱とオーケストラで聞くと鳥肌ものに聞こえる素晴らしい歌だと筆者は思うし、日本人のアプリオリに兼ね備えたメンタリティのようなものに響く何かを持っている歌だと感じる。

一方、『秋田県民の歌』は1959年に県庁の新庁舎記念と2年後に開催予定だった秋田国体に備えて作られたとされる。当時秋田高校3年生で吹奏楽部員だった菅原良昭氏が作曲、作詞者は大久保笑子氏である。菅原氏のインタビューによれば、わずか5,6分で作曲したのがこの曲だそうで、本人は県の歌が2つもある必要は無く県民歌が継承されて欲しいと言ったということである。県民の歌は3番まであるが、2番(八橋油田などを歌っている)は通常歌われず、3番を2番として歌われる。
経緯を見るに、国体で歌う歌としては戦前教育の色濃い県民歌ではまずいということで大急ぎで作ったのではないだろうか・・・。
いずれにせよ、この二つの歌の持つ歴史背景や事情、そしてそこに歌われている古き良き秋田の既に失われたものなどを改めて考えることは秋田県民にとっては有意義であろうし、途方も無く無力感の蔓延している秋田で、この2つの歌の持つ意味からはいろいろなものが見えてくる気がするのだ。

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『秋田県民歌』と『秋田県民の歌』 への2件のフィードバック

  1. 折衷案 より:

     
    折衷案というか妥協の産物が『大いなる秋田』(^^)
    3つともいい歌、楽曲だと思いますけどねぇ。
    確かに林業は廃れ、鉱山は廃坑となり、油田はほぼ無くなり、秋田は産業が無くなったんだなぁと感じさせる歌ですね。
     

  2. 歌好き より:

     
    結局、社民党などの『なんで皆で歌うの? 必然性がわからなーい』
    という声に押されて、議会では歌わないことになったそうな。
    提案も提案だけど、結論も結論で、どーしようもない感じの県議会。
     

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