坂の上の雲やら、新県立美術館やら

この時期に天皇誕生日というのも何となくピンと来ないのは昭和生まれだからだろうか(^^)。まあとにかくブリザードな天気で出歩くのは億劫になってしまう。秋田の四季のメリハリの強さは好きなのだが、この冬の天気と積雪さえなければとついつい思う。もう何百年もこの地を預かった為政者たちはこの雪を克服してせめて市街地だけでも快適な暮らしをなどと考えることは無かったのだろうか?と不思議に思う。

ということで、録り溜めておいたNHKの坂の上の雲を通しで見ているが、確かに映画にでもできそうな豪華なキャストとロケで金かけてるなぁという印象。3年に分けた理由は費用面だろうか。サンクトのロケなどは『あ、あそこだ』と現地で本物を使ってることがよくわかる。
しかし、司馬遼太郎が描きたかったものとはちょいと違うのではないだろうかと感じる部分も多い。また、第二部だったか、日清戦争後のシナの住民と悪役日本兵の森本レオ(軍曹?)のやりとりなど原作には無いものが付加されていたりしてNHKの自虐史観というか反日姿勢のようなものも垣間見えて少々気持ちが悪い。
基本的に、日清・日露戦争が題材であり、明治の人々の気骨・気概とか美化するもの以外にも今の我々が学ぶべきことは多いことは間違いない。
国家予算が3億弱だったときに13億近く外国から借金をしてまでロシアと戦った日本という国、日本人とは一体何だったのか? その原動力は何だったのかを考えるだけでも興味深い。

筆者は軍事的なことはあまり興味が無いのだが、現在の仕事柄のせいかこの時代の児玉源太郎というスーパーな人物に非常に興味がある。日露戦争において満州軍総参謀長として活躍し、乃木希典を助け奇策によって203高地の奪取に成功したということらしいが、これが史実か司馬遼太郎の創作かは不明らしい。
この児玉源太郎の業績は、日露戦争以外にも台湾総督として後藤新平とともに植民地政策を徹底(アメと鞭で)したということもあるが、筆者が興味を持ったのは、『児玉ケーブル』である。

◆国際通信の日本史 -植民地化解消へ苦闘の九十九年-(石原藤夫著、東海大学出版会)

に詳しいのだが、いち早く情報通信の重要性を認識し、日清戦争後の10年間で、
1) 日本独自の海底ケーブル敷設船を持ち、本土と朝鮮半島・大陸の間に複数の海底ケーブルを敷設。
2) 敷設に必要なケーブルは密かに購入し秘匿した。
3) 九州~台湾間を日本独自の海底ケーブルで連結し、台湾を経由してイギリスのAll Red Route(インド・アフリカ回線)と接続
を実行した発想力と実行力である。何故、この当時そんなことを思いついて実行できたのかが不思議である。この当時無線は発明されて間もなくまだほとんど普及していなくて、ケーブルによる有線通信が一般的な時代だ。(TVでやっているのは時代考証がおかしい)
たかだか100Mbps(しかもベスト・エフォートで)の通信でブロードバンドが普及でございとか言っている秋田では為政者の考え方が100年遅れている。(^^)
とにかく、この児玉ケーブルのおかげで、バルチック艦隊が喜望峰やインド洋を周回している情報は、イギリスのAll Red Route回線によって、ロシアに察知されることなく、着々と日本に送信されていたわけで、日露戦争の勝因の一つとされる。もし、自前のケーブルを持っていなければ、日本軍の情報はロシアに筒抜けになっていたであろうから、海軍も陸軍も惨敗したかもしれない。(司馬遼太郎の原作ではこのあたりの記述は無かったと思う)

ちなみに、この児玉源太郎の四女のモトは藤田嗣雄(『秋田の行事』で有名な嗣治の兄)の妻である。

『秋田の行事』(大きいだけで、1970年代以降の生まれの人間には何のリアリティもない壁画)で思い出したが、建築中の新県立美術館。基本計画策定委員会の報告書を見る限り期待度は限りなくゼロに近い。ガッカリ度95%くらいか。
http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1235002754605/files/sinnkenritubbizyutukankihonkeikaku.pdf

固すぎるよねぇ(^^)。時代錯誤の権威ぶった記述が笑える。
コレクションは世界中の名だたる美術館に比べればどうせ大したことはないのだから、もう少し、地元の人に親しみやすい美術館にしたらいいのに。
三重県立美術館のミュゼ・ボン・ヴィヴァン(フレンチのレストラン)
http://www.bonvivant1983.com/musee/index.html
みたいなフレンチのレストランやカフェを作るとか粋なことして欲しいものだ。
しょっぱい『ぼたっこ』や寿司ハタハタ食って酒飲んでる連中にレオナール・フジタの世界を鑑賞したり、価値を理解しようと言ってもちょいと無理が大きい。
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坂の上の雲やら、新県立美術館やら への4件のフィードバック

  1. 地元主婦 より:

     
    そうそう、新しい美術館にはカフェやフレンチのレストランが欲しいですよねぇ。
    絵だけ見て帰れ、みたいな美術館じゃ今までのあの殺風景な美術館と変わりませんからね。
     

  2. 秋田の行事 より:

     
    秋田で平野政吉や藤田嗣治がイマイチ人気が無いのは、多くの人があの壁画の経緯を知っているからでしょうね。
    米穀商と小作人を数百人使って儲けた金、金貸しで儲けた金で自分のコレクションとして書かせた成金趣味の『とにかく大きな絵画』(という要望だったそうだ)。 人には頼まれても見せなかったというし。
    しかも出来上がったときに平野と藤田両氏の間のギャラを巡る醜い争い。
    そういう経緯を多くの人が知っているから人気がないし、県に寄贈したわけでもなく、県民は別に県のあるいは県民の宝という意識が無い。
    何故、そんなものをメインにした美術館を作るのか多くの県民は納得していないでしょう。
    故人だし悪く言うつもりはありませんが、あまり美化したりしてもしょうがない。
     
     

  3. Argus より:

     
    実は私も秋田の行事さんと近いことを考えていました。
    大きさだけなら、もっと圧倒的なのがいろんな美術館にありますし、あの描かれた秋田の行事が何だか秋田をきちんと捉えているかどうかは少し疑問ですよね。犬なんか当時の秋田にこんな犬がいたのかな?と思わせるし、あくまで藤田画伯の想像(印象)の世界の『秋田』なんだろうと思います。
    あくまで故人の個人的なコレクションでいいわけで、県民の文化財産といった捉え方は間違いだろうと思います。財団が抱えきれなくて県に補助してもらってるわけでしょうから。
    いっそのことこれを機会に県にコレクション全部を寄贈したらいいのに・・・・。(^^)
     

  4. 絵画ファン より:

     
    そうそう、秋田の行事は県民に見せるために描いたものじゃなくて
    単に田舎の富豪とパトロンが必要な画家との間の私的な『遊び』で
    出来たもので、そんなものをありがたがって県民の文化遺産だの財
    産だのという輩や秋田県もどこかおかしいんじゃないの?
    大体、平野政吉美術館のHP見たらわかるように数百点あると言われ
    る収蔵品のリストも写真もなーんにも紹介していないケチな美術館
    でしょ(笑)。今時あんな貧弱なHPの美術館無いし・・・。
     

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