AFP配信の写真で見る被災地の1年前と今

The Wahington Post紙で津波被災地の1年前と最近の写真が掲載されている。
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/special/world/japans-coast-then-and-now/?hpid=z7
スライドして被災当時と今を見比べられるが、このAFP配信の写真は、既に1ヶ月くらい前のカナダのNATIONAL POSTに掲載されているものと同じである。
http://news.nationalpost.com/2012/02/09/see-how-japan-has-rebuilt-in-the-11-months-since-the-earthquake-and-tsunami/

何度見ても『悲惨』という文字しか浮かばないが、記事へのコメントを見ると
『1年でこんなに復旧するとは信じられない』
『アメリカなら5年はかかる』
など驚きと賞賛の声が多数なのだが、大多数の日本人が『復旧・復興が遅い』と感じるのとは対象的だ。

1年を区切りにマスコミは特集を組み、何か『区切り』を付けたいかのような扱いなのだが、現地に行って実際に見れば、ほとんどの人が『この後一体どうするんだろう?』と感じてしまうはずだ。(筆者は昨年から宮古と石巻と気仙沼の知人のところに行って現地を見ている)
マスコミが伝えない現地の大多数の住民の焦燥感や絶望感は想像を超えている。
マスコミが報じるように確かに一部の人間たちはようやく仕事を始め『動き』が始まったようではあるが、全体的には『ぜーんぜん』という印象。綺麗ごとではない。
一体、国や各自治体は何をしているのだろうとついつい思ってしまうが、国だろうが県だろうが各市町村だろうが・・・『無理』という印象。それほど被災規模が滅茶苦茶なのだ。

端的に言ってしまえば、『民主主義的な手続き』では復興など進まないのではないか?
震災前から既に人口減少、産業衰退といった下降線上にあった小さな町村にとって『復興』とはどういう意味を持ち、どういう姿を区切り・ゴールとするのかはピンとこない。
下降線の震災前のポイントに持ち上げても、また下降するのであろうことは住民たちが一番肌で感じているはずで、持ち上げてさらに上昇カーブに持っていくことはほとんど不可能な奇跡のようなものだ。
いくら中央で政治家や学者、評論家が理想論を唱え方法論を語っても、それが時間のかかる民主的手続きで行われる限り、1年2年で片付く話ではない。
零細な町村ではいわゆる『マチの顔役』のような人間の『仕切り』で産業や雇用が生まれ、街や村が半ば自然発生的に発展し存在してきた歴史的なものを考えれば、今突然民主主義で皆の意見の最大公約数を取るような手法ではいつまでたっても形は見えてこないだろう。
それをよく表しているのは漁業権の問題のような気がする。
アプリオリの権利のようなものとして主張する側と、自治体が法を作って一定の管理の下にそれを発展させようとする側は完全に利害の対立で相容れるわけがない。

規制や法律、条令でガチガチの被災地で少なくとも震災前のポイントに戻すにはある意味超法規的なスピード感のある独裁的なリーダーシップが必要かもしれない。
このままではがれき処理と道路・電気・上下水道・ガス復旧だけで『復興終了』となってしまう。仙台の国分町だけがバブル景気だ。

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