取り戻す日本があるからこそ日本人は幸せだ

南朝鮮のパク・クネ新大統領就任式が短い時間こちらのTVで報じられていた。
両親を暗殺され自身も暴漢にカッターで顔を切りつけられ、それでも国のトップに立とうとするこの女性の根性は相当なものであることは間違いない。
就任の挨拶はあまり大仰なものでは無かったが未来志向というか今後を見据えての無難な内容だったと思う。しかし、就任早々、自国経済の置かれた状況に悩まされることだろう。

考えてみれば、安倍首相の総裁就任(あの時点で既に首相は規定路線)時の『日本を取り戻す』という言葉は実に含蓄のある言葉だ。
安倍首相が一体いつの時点の日本を取り戻そうとしているのか正確にはわからないが、素直に考えれば第二次大戦での敗戦以前であろう。
あるいは、明治維新のころを考えているのかもしれないが、日本の歴史を考えればいくつもその候補になる歴史のポイントがありそうだ。
50年前、100年前、400年前、1000年前・・・、細かい問題はあるものの、どのポイントでも日本には誇れる歴史、文化、社会がある。一言で言えば、天皇制を中心とした『国体』が不変のままそこにあるからだ。(良し悪しの議論ではなく事実だ)
国体というと如何にも国粋主義、右翼っぽい印象を持つ人が多いが、『国の形』とでもいえば良いだろうか。

ペリーの来航でも日本はキリスト教国にならなかった。第二次大戦で負けて占領されてもやはりキリスト教国にはならなかった。
3年ちょっとの間、左巻きの連中を中心に政権を実験的に任せたが、国体が左巻きによって崩壊したり社会主義中心になることはなかった。逆にその反動で現在は右寄りにオーバーシュートしたかのようにも言われる。(筆者は全然そう思わないが)
宗教にもイデオロギーにも完全には侵食されない日本は実にロバストな国だ。今後も例えイスラムが日本に大々的に入ってきたとしてもこのロバスト性は未来永劫不変のような気さえする。

『日本を取り戻す』。自国に対してこれが言えるのは世界中を見てもほんのわずかの国ではないだろうか。つまり、ナショナルでまとまる事ができるのは先進国では日本以外にはドイツとイタリアくらいではないだろうか。
例えば、パク・クネが『朝鮮を取り戻す』、キム・ジョンウンが『朝鮮を取り戻す』といってもせいぜい朝鮮戦争以前の状態で、それ以上100年、400年、1000年前など現在に繋がる連続した歴史などはなく、文化も社会も別物だ。1960年代の漢江の奇跡以前の朝鮮の状態など取り戻すどころか思い返したくも無い悲惨な非文明の世界だろう。
支那もそうだ。シー・ジンピンが『支那を取り戻す』などといっても50年前はまだ人民服を着て日本軍の置き土産の武器を持った人民解放軍と牛馬のような農民が数億人もいる状態。100年前、400年前、1000年前と各王朝の歴史はあるだろうが、現在の支那中共に繋がるものではない。そもそも民族がそれぞれ異なり、現在の漢民族はどちらかというと支那の歴史では新参者に過ぎない。
取り戻す朝鮮を持たない南北朝鮮、取り戻す支那を持たない支那。
故に連中は未来志向一点張りで、歴史を自ら捏造し、創作していかねばならないのだ。
唯一日本の歴史に対する『反射』として確認できるものを取り上げ、それをネタに謝罪と賠償を要求し、歴史を事実ではなく認識としてテメェ勝手につまみ食いする。それが連中にとって『取り戻す』ことなのだ。なんと寂しい、浅ましいことか。

日本人は『取り戻すことができる日本』があることに誇りを持つべきだ。

ついでに、『秋田も取り戻す!』と言って知事選に出てくれる人はいないものだろうか。(^^)

ブログランキング・にほんブログ村へ
(blog rankingに参加。ご協力を。Click it!)


広告
カテゴリー: 県政・市政・議会, 社会・経済, 迷惑な隣国, 国際・政治, 国政・国会 タグ: , , , , , , パーマリンク