国文祭は一過性のイベントで終わるのか

来年秋田では国民文化祭・あきた2014が行われるようで既に公式HPなどが立ち上がり大イベントとも思えるような計画だが、ざーっと見てみると細かいイベントや**フェスティバルのような集客事業のようなものばかりで果たして本当に人が集まるのかどうも怪しい。
はっきり言って中身が何となく年寄り臭いものばかりで若い人が興味を持ちそうな目玉イベントが無い印象だ。
シンポジウムなど地味なものもあるが、食文化(秋田はさほど得意ではなさそうな分野)などありきたりのもので、担当者はあれこれ考えたのだろうが、とりあえず脈絡無く寄せ集めてみました的な印象だ。
要するに一過性のお祭り騒ぎができれば人もそこそこ集まって宿泊業や飲食業に経済波及効果があるだろうという話なのだろう。(そんなに全国から秋田に集まるのかな?)

何かが足りないなと感じて考えてみたら、秋田の各地にある工芸品やそれに関連するイベントが無い。
秋田の工芸品の特長は銀線細工のような美術的な価値の高いものよりは生活に密着した実用品的なものが多い印象だが、それらについてのシンポジウムや展示会などはどうも無さそうだ。
もちろん、樺細工や曲げわっぱのような有名なものはそれぞれの地域で実演や展示も行われるだろうが、秋田にはもっと細かいもので誇るべきものも沢山ある。そういうものこそ秋田の『文化』なのではないかなと筆者は考えている。

例えば、和鋏(英語ではspring scissors)。
486px-Scissors_turkey和鋏と同じようなものは紀元前1000年くらいにギリシャで発明され、その後支那を通って日本に伝わったとされる。トルコの黒海沿岸でも同じようなものが出土しているらしい。WikiPedia参照。
日本で和鋏が有名なのは新潟県の三条市だがその原型はにかほ市の象潟にルーツがあることはあまり知られていないのではないだろうか。守道鋏である。
三条市のHPにはそのことがちゃんと書かれている。三条では後に守町鋏と名づけられたようだ。

別に象潟が和鋏の起源だなどと主張するわけではないが、明治の中ごろに三条に伝わったのであればそれ以前から象潟では製造していたわけで、何故象潟で? どうやって象潟に伝わったのか? 象潟にどういう需要があったのか? などを想像するだけでも楽しいではないか。
惜しむらくはそれが地場産業にならなかった理由は何だったのか? もし為政者に目利きがいれば今頃象潟は三条や燕のような金物産地になっていたかもしれない。

守道鋏はにかほ市の指定有形民俗文化財だそうだが、そこの象潟郷土資料館の説明では守道鋏は名称は『長岡鋏』となっている。(長岡は地域の名称。守道はいわば商標)

nagaokabasami
おそらく和鋏は大阪堺あたりから全国に広まったものと考えるのが妥当だとは思うが、その伝播の歴史や製造技法などは学術的にもなかなか興味深いし、古代ギリシャから考えるとなかなかのロマンだ。(やはりシルクロードだろうか)

各地の指定文化財は指定を受けるとそれで終わりといった印象だが、この国文祭を契機に再度指定文化財の見直しをしてはどうだろうか。
その際に、調査・研究などを年寄りのアマチュア歴史家や若者にデジタルアーカイブさせてまとめるといったことなどにも任せて予算を付ける。成果は自治体で展示イベントなどを開催して費用の回収などもできるようにしたら、裾野の広い『秋田向きな公共事業』になるではないか。

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