『痛恨の極み』発言はポピュリズムだったか

朝イチでニュースを見たら、なんと安倍首相が秋季例大祭に参拝しないそうだ。例大祭期間は17日~20日で国会答弁の無い土日でも可能だろうが終戦記念日春季例大祭同様に真榊奉納で済ませたようなので参拝はしないのだろう。

『痛恨の極み』だの『国のために命を捧げた英霊たちに・・・』などと言いながら実際に参拝に行かないのであれば、英霊たちも『アンタ、もう二度と来んでいいわ』と落胆だろう。

現在、支那、南朝鮮をはじめ欧米の左巻きメディアから右翼(場合によっては極右)政権とレッテルを貼られ、それを払拭しようという動きも理解できないわけではないが、それなら首相在任中は行かないとでも明言しておけば支那や南朝鮮の外交カードに使われる心配は無かったわけで、『痛恨の極み』などと言ったら日本語のコンテキストでは『安倍首相は必ず参拝するんだな』と理解されて当然の状況を作っておいて参拝せずでは多数の日本人の納得を得られるわけがない。
それくらいなら、『行かない』と明言して実際に行かなかった民主党のバカ3首相のほうがまだ『誠実』というものだ。

本人は公約にしたつもりはないと言い張るかもしれないが多くの日本人は参拝を公約と捉えただろうし、これは選挙の人気取り、ポピュリズムだったと言われても仕方がない。参拝は安倍首相が言うように個人の自由でそれ自体大きな意味はないだろうが、内閣総理大臣として参拝するかどうかは大きな意味を持つ。
J-Fileで記述してあった公約の尖閣に公務員常駐だの竹島記念日の政府主催だのTPP関連だの良し悪しは別にしても『言ったことはやる』『やれることしか言わない』と断言した公約が次々に反故にされている現実に追加で靖国不参拝。

戦後レジームの打破、日本を取り戻すなどとデカいことを言う前に、政治家として公約を守れと多くの国民が思うに違いない。
靖国不参拝そのものよりもポピュリズム、ペテンには怒りを覚える。
政治屋など信じてはいけない、誠実だの責任などとは程遠い人種だと改めて認識しておく必要がありそうだ。
やはり自民党は日本最大の受け皿政党であって保守でも何でもないのかも・・・。政権担当能力のある保守政党がやはりもう一つ欲しい。

参拝しないことで支那や南朝鮮の何が変わるというのか、また馴れ合いの媚びた外交でも取り戻すつもりなのか。進出企業の請願もあるだろうが、ここ1年ほどの『距離のある関係』で十分ではないか。
取り戻すのは日本の強い経済だけではないはずだ・・・と思ったのは筆者だけだろうか。
長期政権だと思っていた安倍政権も案外短いかもしれない。

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『痛恨の極み』発言はポピュリズムだったか への1件のフィードバック

  1. 茹で蛙 より:

    いやぁ、やっぱりねという感じですね安倍首相は。
    日本の再生になればとちょっとだけ信じた国民が馬鹿でした。
    誰がやっても、円安・株高はそろそろ低迷を抜けて上昇に転じる時期だったのかも。
    参ったねぇ(笑)。

    >英霊たちも『アンタ、もう二度と来んでいいわ』と落胆だろう。

    遺族もそう思っているでしょう。
    こんな国民を馬鹿にした首相がかつていましたかねぇ。

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