憲法”神学論争”はほどほどにして欲しい

日本に戻ってきて集団的自衛権だの集団安全保障などの文字がメデイア全体で目に付いて食傷気味。
解釈の変更でも憲法改正でもいいが、目の前に実際の脅威があるにもかかわらず、一体いつまで”神学論争”を続けているのか。
平和憲法だのと適当なネーミングが一人歩きして、国民を守るよりも憲法を守れと本末転倒なことを言い出しかねない論調で話しているのを見ると反吐が出そうだ。
結局、もし第二次大戦以来の軍事的な敗北を喫したときに戦犯にされるのが怖い政治屋達が責任逃れの言い訳を準備しているようにしか見えない。

集団的自衛権の行使を容認するケースがどうのという議論自体が面妖である。
1970年代、北ベトナムへの爆撃は沖縄から飛んでいったではないか。その米軍基地を貸していたのは日本で兵站の一部を日本が担っていたのは明らか。当時仮に北ベトナム軍にロシアが爆撃機を供与していたら沖縄などの基地は空爆されていたかもしれない。
その状況で日本が反撃しないということはあり得なかったはずだ。当時の内閣も北爆の支援を暗黙のうちに認めていたわけで、これを集団的自衛権の一ケースでないと誰が言えるだろうか。
つまり日本は既に40年も前から集団的自衛権は認めていたのだ。解釈の変更などという今更感たっぷりの手続きやわざわざ安倍首相がパネルを使って記者会見する必要がどこにあるのだろう。(国民向けではなく公明党向けのパフォーマンスか)

暴走国家、超反日国家の特亜3国を隣に持つ日本で自衛隊が十分に動けない状況を一体誰が喜ぶというのだろう。
核武装という決定的な切り札を持たない日本が戦闘状態でできることは限界があるのは明らかで、支那の場合は本当に核攻撃を仕掛ける可能性があるという現実の脅威が目の前にあるにも関わらず、9条信者の護憲思想は一体何だろうか? 現実に目を瞑り御札を後生大事にして祈っている宗教のようなものだ。
9条信者たちで南シナ海に出かけていき支那とベトナムを説得してみろと。

海外での武力行使を含めた自衛隊活動の柔軟性を大きくすることは筆者は最重要だと感じる。
海外で活動する日本人なら皆思っていることだろうが、昨年1月のアルジェリアでの日揮社員の人質事件で奪還作戦どころか自衛隊を派遣して陸上輸送すら出来ない日本は海外では完全に笑いものにされ忸怩たる思いだった。
余談だが、事件後、神奈川県警などが、殺人・監禁事件として検視や関係者の事情聴取、現地での裏付け調査などの捜査を行ったことは笑ってよいものかどうか・・・。神奈川県警ですよ、神奈川県警。

我々は個人で銃器を持って武装することを放棄する代わりに国家にその役割を委ねているのだ。その期待に応えて邦人救出のためなら地球の裏側でも出かけていくべきで、それは国の義務のはずだ。(勝手に危険なエリアに出かけていって拉致などは問題外だが)
邦人救出に自衛隊(の特殊部隊等)を活用できるとなれば、拉致問題についても北朝鮮に対して大きなメッセージを送ることになる。これが無いから舐められるのだ。
一度でも海外で大使館や領事館に飛び込むような事態を経験した日本人なら皆そう思うはずだし、人質事件などは『明日はわが身』という気もする。
どうしても自国・国家に頼る場合があり、これがある以上、国家>個人でありこれを右翼と見るならば筆者などは完全に右翼だ。左の思想、国家<個人という脳内お花畑とは接点が無い。

常任理事国のロシアや支那が好き勝手なことをやっても国連が全く機能しないことはもう十分に示されたわけで、やはりそれぞれの国が自国防衛に責任を持たなければ話にならない。
社会主義国であるベトナムでのデモ・暴動は一見支那に対する反発だが実態は自国政府への様々な締め付けに対する反発のガス抜きも含まれているという見方もあるが、支那がベトナムから支那人労働者を3,000人ほど避難帰国させたようで、まもなく何度目かの支越戦争状態になるだろう。
21世紀のN.チェンバレンと言われる弱腰オバマは動きそうになく、支那とベトナムの紛争は長期化しそうだ。
そんな中、南アフリカがASEANに近づいている。南アフリカはアフリカでの支那の進出を面白く思わない側のため連帯を結び支那包囲網に加わろうとしているかのようだ。いろいろな駆け引きがあるものだ。

日本にとって集団安全保障を現実にするにはASEANだけでは物足りない。
ここは支那とロシアが手を組む前に日本はロシアとの外交の密度を高めるべきだろう。ロシアと距離を縮めておけば日本の安全保障に役立つと同時に支那への大きな牽制になる。安倍首相の外交手腕が試されそうな空気だ。

 

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憲法”神学論争”はほどほどにして欲しい への2件のフィードバック

  1. 予備役 より:

    まさに神学論争のようだと私も感じます。
    秋田の代表的な左翼年寄り集団「秋田九条の会」がにぎわい交流館で護憲運動の交流会を開いたそうです。
    ゲストの小森陽一東大教授(日本近代文学)が「集団的自衛権の行使で自衛隊員に死者が出れば、戦争への流れは止まらなくなるだろう」と講演したそうで、この人たちは9条を守れば死者は出ないと思っているんでしょうかね。
    南シナ海の中国の横暴を一体どう見ているのか。時代錯誤な骨董品のような集まりです。
    話が通じない馬鹿国家が目の前にあるのに。

    例え死者が出たって国を守ることは必要なんだよ! と言いたい。

    • argusakita より:

      こんばんは。

      秋田の護憲運動の9条の会は、大昔の農民運動の残滓とJR東日本の旧国鉄労組系や中核派の地方に散らばった集団とネンゴロですからね。
      日米安保でアメリカのR.アーミテージがいつも発言しますが、あれがいわゆる『安保屋』と言われる連中で安保を現状維持しておけば自分の仕事が維持できるわけです。
      それと同じで、護憲を錦の御旗に掲げて日本を取り巻く環境の大変化を全く見ずに国民の安全保障の方法論には全く触れずにお花畑の論理を主張しているのが『護憲派』。
      ようするに『護憲』を口にしていれば珍獣と同じでお座敷がかかる=儲かるわけです。

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