第一次世界大戦やシベリア出兵からの復習が必要

戦争の後始末では必ず悪役・ヒールが必要で、これが無いと収まりがつかないことを世界は第一次世界大戦で学んだようだ。いや、もっと昔からそうだったのだろうが、現在の世界の主要国の役割は第一次世界大戦から引き摺っているように感じる。今改めて第一次世界大戦の原因や役割を再検証すると欧州はとんでもないことになるだろう。
故に先日の第一次世界大戦の記念式典も形式的に各国首脳が集まり黙祷するだけで精一杯だったが内実はそれぞれの言い分がありそうだ。

第一次世界大戦はあまりに広範囲で長期間、参戦した国々の思惑も単純ではなく、どんなに歴史好きでも簡単には説明できないだろう。
教科書的にはサラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の”皇太子”が暗殺されたことによって第一次大戦が始まったとされるが、この”皇太子”というのは間違いで正確には王位継承予定者。
皇太子ルドルフは1889年某所の密室で(本当の恋人ではない女性と)情死している。暗殺されたのはその従兄弟のフランツ・フェルディナント大公だ。
このフランツ・フェルディナント大公が暗殺されただけで何故世界大戦になったのかをスッキリ説明するのはなかなか難しい。暗殺までの背景もあれこれあり、その後あちこちであれこれ・・・。
公式には第一次世界大戦は1920年1月10日の国際連盟の初会合(ロンドン)で終了ということになっているが、戦線が世界中にあったためいつ終わったかを議論するとこれまた大変なことになる。
筆者のいるウィーンでも戦後オーストリアは帝国を解体・縮小させられ、ハプスブルク家を追放した。現在そのハプスブルク家の遺産を観光資源として成り立っているとも言えるオーストリアという国はなかなかのものであることは確かだ。

第一次世界大戦で、日本は、
1914年8月23日 ドイツに宣戦布告
大隈重信首相はイギリスからの派兵要請を受けると御前会議にもかけず、議会における承認も軍統帥部との折衝も行わないまま緊急会議において要請から36時間後には参戦の方針を決定した(これが後の政府と軍部の関係悪化に繋がったとされる)
1918年8月上旬 シベリア出兵
※一旦は派兵要請を断ったが結局は大規模な派兵を決定。各国が数千人規模なのに対して日本だけは異常に大規模な派遣。

このシベリア出兵は日本ではあまり学校では教えないが、バイカル湖近くのイルクーツクまで進駐し、相当に(結果的に)残虐なことをしたようだ。高校の教科書にはせいぜい『ロシア革命の影響が及ぶことをおそれた日本、アメリカなどはシベリア出兵によって革命政府に干渉しました』程度の記述のはずだ。

シベリア出兵の建前は孤立したチェコ軍団の救援・保護が目的だったが、参加した派遣人数、
アメリカ 7,950人
イタリア 2,400人
イギリス 1,500人
カナダ 4,192人
フランス 800人
支那(中華民国) 2,000人
に比較すると日本だけ7万3千人と桁違いの規模で、各国が1921年のワシントン会議で撤兵した後も駐留し、残虐とも言えることを続けたことは当時の軍の命令書なども残っていて明確な『侵略』(帝国主義時代の『進出』)だっただろうと解釈できる。ちなみに、このときの8カ国(上記と日本とロシア白軍)の多国籍軍の指揮権は日本にあったが言葉の問題で武官のコミュニケーションが取れなかったらしい。
日本海を隔てた隣国が社会主義国になったという脅威は帝政日本にとっては大きな脅威だっただろうし、抗戦相手がパルチザン(今風に言えばゲリラ)のため一般の住民との区別がつかないこともありやむを得ずというのはわからないでもないが命令書は村ごと焼き払って全員虐殺を指示するものが少なくなく、そこまでいくと反共・防共といった理屈は言い訳であくまでも領土拡大のための帝国主義による侵略が本質だったように思える。(日露戦争での領土獲得が叶わなかったことも影響しているだろうが)

ウラル山脈より東のロシア人、特に極東のロシア人に日本を極度に嫌悪する人が多いのはそういう歴史があるのを知っているからで、これは日本人も知っておいたほうが良い。
日本ではややもすると第二次世界大戦末期ポツダム宣言受諾後に旧ソビエト軍が参戦し、占守島の悲劇などが語られ、ロシア人は残虐非道、卑怯という喧伝がされがちだが、実はその25,6年前には日本軍はシベリアで同様に酷いことを大規模・組織的にしていたためその報復をされたのだと聞けば少し見方も変わるだろう。もし同規模の仕返しなら北海道全部を取られても不思議はなかったかもしれない。

余談だが、北方領土問題に関してロシアはよく『我々は日本にされたことと同じことをしたにすぎない』という立場の表明や物言いをする。
既に第一次世界大戦が事実上収束しているタイミングで大規模なシベリア出兵を行った旧日本軍は卑怯だという見方がロシアでは一般的だ。アメリカでは真珠湾攻撃を卑怯だと非難する声があるが、それ以前にも旧日本軍は誤解をされるような行動をしていると見られている。
また、プーチンが北方領土は第二次世界大戦の結果によるものだという言い方をするが、実はこれは小村寿太郎が南樺太についてロシアに対して『日露戦争の結果によるものだ』と突っぱねた言葉をそっくりそのまま返しただけなのである。

このシベリア出兵の残虐非道な侵略行為が、後に国際連盟で日本が列強の支持を得られずその後の第二次大戦での日本軍の恐ろしさの印象を増幅したことは間違いないだろう。
そして、その残虐さが太平洋戦争各戦線で発揮されたはずというバイアスを生み、後の極東軍事裁判でとにかく『日本をヒールに』という流れにつながったのだろうと思われる。
さらにそれを知っている欧米は、支那の南京事件の捏造プロパガンダについても日本ならやりかねないと思っているのではないかと筆者は推測している。このバイアスを残しておきたいのが支那と朝鮮なのだ。
村ごと焼き払っての大虐殺などは、ベトナム戦争ではアメリカがいくらでもやったことだが『神に選ばれし国』は決して断罪されることはない。
また反対に日本人約700人が虐殺された尼港事件(1920年)における支那人、朝鮮人の残酷さはここでもズバ抜けている。この事件も日本では歴史教科では教えない。

ただ、筆者は日本人であり残虐行為だけが旧日本軍の所業だったとは思いたくはないので多少武力以外の活動も触れたい。
このシベリア出兵で日本は宗教を使って住民を平和的に懐柔(対日感情の緩和?)しようとした事実もある。日本から日本正教会と西本願寺から工作員を派遣させ宣撫活動を行った。(残念ながらほとんど効果は無かったらしい)
また現在のウイグル会議等の中央アジアにおけるイスラム勢力との接触がこの頃から始まっている。キーマンはグリゴリー・セミョーノフやムハンマド・ガブドゥルハイ・クルバンガリーだ。決して日本はイスラムと無縁な歴史ではない。
さらに、現在ポーランドが親日とされる理由の一つにあげられるポーランド孤児の救済もよく知られたことでシベリアから敦賀に移送し横浜や神戸経由で約800人の孤児をポーランドに帰国させた。

集団的自衛権行使は間違いなく自衛隊が他国領土・領海で戦闘に参加する機会をもたらすだろうが、日本の死活問題であるシーレーンに限定することは不可能である以上やむを得ないだろう。
(集団的自衛権行使のポジティブリストは世界の笑いものだ、そんなにうまくいくわけがない)
しかし、第一次世界大戦への参戦までの経緯とシベリア出兵については再検証しておく必要がありそうだ。特にシベリア出兵後の帰還・撤収命令を大本営がなかなか出さなかったあたりの理由は重要なのではないか。派兵よりも撤兵が難しいのはイラクやアフガンでのアメリカを見ればわかる。
さらにこれらの検証が第二次世界大戦、太平洋戦争の再検証にもつながる。

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第一次世界大戦やシベリア出兵からの復習が必要 への1件のフィードバック

  1. きりたんぽ より:

    おおまかに言いますと、皇帝のヴェルハルム2世が政治のできるビスマルクをクビにして、無能さに気づかないヴェルハルム2世本人が政治をしだしたきっかけが、日露戦争につながるようなものですね。ソ連とフランスの間に挟まれているドイツですから、隣国との条約を破棄したら戦争になった時にドイツは終ってしまう、やばい・・・初めて気がついた・・・なんとかソ連を欧州に関心をそらすためには!?そしてソ連をアジアに関心を持たせたわけですよね。「日本ってとこが清を倒して朝鮮半島奪っちゃったよ、一度たたいたほうがいいんじゃないの?そのうちソ連領土に向かってきそう」みたいな感じで。このヴェルハルム2世が第一次世界大戦まで世界を振り回すようなものです。賢いビスマルクがそのまま権力をもっていれば歴史はずれたか変わっていたのではないでしょうか。

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