道徳教育、無いよりはあったほうがいい程度か

現在行われている新学習指導要領は『生きる力』という漠然としたスローガンのもと行われているのだが、最近のニュースによればこの指導要領で平成30年度頃から道徳教育が教科として実施されるようになるのだそうだ。
テレビドラマのHEROが道徳教育で文科省とタイアップしていたなどというのはあまり知られていないのでないかとも思うがまあそんなことはいい。
安倍政権が目指す道徳教育というのは、
『児童生徒が,生命を大切にする心や他人を思いやる心,善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けること』
となっていて言葉的には大変結構なことだと思うし誰もがそうであれば世の中こんな平和なことは無いだろうと想像には容易い。

わざわざ道徳を教科として試験や点数化まで行うスタイルにするのが正しいのかどうかはいろいろな議論があり、反対論者は価値観の押し付けだとか敢て教科とすることで手抜きだという論者もいる。賛成論者は日本の伝統的な価値観を知ることは必要、手抜きではなく教科として行うため強化だと・・・。
筆者にはどれもふーんという感想しか浮かんでこないのだが、多様な価値観がある中で子供の頃にある程度のベース(日本でメジャーなという意味で)となる価値観を基礎として叩きこんでおくことは日本人としては悪いことではないだろうとは思う。きっと筆者は試験で40点くらいしか取れないだろう(^^;)。

筆者の場合、道徳観というもので絶対にダメなものは(戦争以外の故意の)殺人と傷害だけで、それ以外は一時的に間違ったとしても後で取り返しがつくはずという信念のようなものがあり、ずるい金儲けをしようが不倫をしようがドラッグをやろうが後で何とか折り合いをつけられるように思う。ただし、それらの代償が必ず因果応報で自分に返ってくることも経験的なものも合わせて知っているため、それなりの覚悟が必要なことも知っている。
殺人と傷害だけは絶対に取り返しがつかず何をどう考えてもこれらを正当化する理由が見つからない。ただし、逆に何故人は人を殺してはいけないかという明確な回答も持っていない(宗教観にもよるのかもしれない)。

生命の大切さと大雑把に言っても、これがなかなか難しい。人間は特別としても動物の大きさで線引きするわけにもいかないし、魚類ならいいが哺乳類はダメとかの線引きも難しい。中には蟻を踏み潰すのも躊躇う人もいるだろうし、犬猫を平気で殺す輩もいる。
八百万の神ではないが日本人の感覚には生物以外にも自然の全てのものに『命』を見出す『特性』があるため、それらまで拡張していくとさらに難しい。

他人を思いやる心。これは程度問題や場合によるものであり、一般化して優先順位の高いものではないように思える。この『思いやり』を国家的なレベルまで拡大した結果が今のアメリカ、支那、朝鮮との結果にも関係しているのは明らかだ。
自己犠牲とのバランスをどうするかが問題なのであって、これだけは子供の頃から愛情を持った親にしか教えられないのではないか?
既に競争社会の一部に組み込まれている学校で教えられるものではない。浅薄な腹芸に通じる。

善悪の判断は時代や場所によって異なることはテレビを漫然と見ているだけで子供でもわかることで、最低限教えることは戦争以外の故意の殺人と傷害だけは絶対悪として教えてもいいと思うがそれ以外はどうだろう。
法治国家を標榜する以上、遵法精神やそれに基づく善悪の判断が国家にとっては望ましいわけだが、現実社会は刑法175条の『猥褻』やパチンコ問題、政治とカネのように建前の善悪(しかも時代と共に変化する)が跋扈している状態で綺麗ごとを教えてもおそらく無意味だ。

道徳の教科書には、歴史上や現代の偉人の業績やそれを評価するコラムなども多数載っているのだそうだが、それらの一面的な評価を教わったとしても今は時代が違うわけで普遍的なものはなかなかないし、一面的なもの、光の部分だけ見ても仕方がない。
秋田の代表的な偉人である白瀬矗中尉の生き様を道徳として引き合いに出すとしたら、南極に賭けた信念の強さは見習うべきだが、軍人としての責務はどうだったのか、自らの夢のために莫大な借金の山を作り最後は『栄養失調による餓死』だった人生から教わるものは何だろうかと考えさせられるものもある。
他人の人生の光の部分からつまみ食いして学ぶものなどは案外浅薄なものだ。それでも知らないよりはマシという程度のものだ。

物事の一面的な光の部分を教えてもネット社会は常にその陰の部分も知り得る。そのため、(元来、志の低い)筆者としては国が実施しようとしている道徳教育には少々懐疑的ではあるが、明治、戦後と二度大きく変遷してきて左翼によって異常に捻じ曲げられてきた(かつて日本人の持っていた)道徳というもののレコンキスタという意味では漠然とした期待も持っている。
しかし、同時に道徳教育が必要かつ急務なのはこういった人間達で必要な教科書はこういったものではないかとも思っている。

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ちょっと朝早い飛行機に乗るため深夜事務所を出てシュベッヒャートのラウンジで時間を潰している。欠伸が止まらない(^^;)。隣のアラブ人にもうつっているようで可笑しい。

 


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道徳教育、無いよりはあったほうがいい程度か への3件のフィードバック

  1. きりたんぽ より:

    先日たまたま、書店に行ったら「教育勅語」に関する書籍が発売したので
    立ち読みしてしまいました。
    まさに支那や朝鮮の反対のことを行うことが大事だと感じました。

    • argusakita より:

      >まさに支那や朝鮮の反対のことを行うことが大事だと感じました。

      (^^)(^^)
      曽野綾子でしたか記憶が曖昧ですが、他者に要求してはいけない3つは、
      『自分を尊敬しろ』
      『謝罪しろ』
      『人権』
      だそうで、これを要求した途端に侮蔑の対象になるそうです。
      これに加えて、南朝鮮は『誠意』(賠償金)も要求していますから、4飜で満貫です。
      嫌われて当然でしょう。(^^)

      『教育ニ関スル勅語』に関してですが、12の徳目のうち5,9番目は私は嫌です(^^)。
      これを作った時の内閣総理大臣山縣有朋の若い頃の写真が『戦場カメラマン』(渡部陽一)に似ていませんか? ググッてみてください。

      • きりたんぽ より:

        曽野綾子氏の書籍をチラッとだけ県立図書館で拝見したことがあります。
        「4飜で満貫」これは宗派関わらずどこの国でも、
        人として避けたいもので世界共通な嫌なものですよね。

        5番目と9番目ですね、
        (5番目・.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
        (9番目・德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
        たしかに客観的に反対側から見た場合にどんな意味合いになるのかを
        考えるとなるほどと感じます。

        山縣有朋の写真をはっきり見たのは今回が初めてです。
        まさに渡辺陽一ですね(笑)目と周りの輪郭がそのままです!!
        びっくりしました、もしかして血筋があるのでしょうか(笑)

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