あきた舞妓という不思議なビジネス

ちょっとした付き合いでウィーン西駅近くの某レストランで食事をした際にアゼルバイジャン(らしいと聞いた)からのダンサーがショータイムで踊っていた。ベリーダンスとはちょっと違うが、残念ながらこっちは上手い下手がよくわからず、傍に寄ってきたときに見た吸い込まれそうな青緑の眼だけが印象的(同じ生物とは思えない)。もしかしたら女性ダンサーの1人は以前キエフのレストランで見たことがあるかもしれない。

そのダンサーを眺めていて思い出したのだが、先日東京の某所で拾い読みした雑誌に『あきた舞妓』についての紹介記事があり、以前から少し気になっていたせいか興味深く読んでしまった。(記事は表面的な紹介だけだったが)
気になるというのは、ビジネスとして取り組もうとしている部分と秋田の一部の人にとっては琴線に触れるものだろうなという点であり、筆者から見たら相当に困難なことにチャレンジしている印象があったからである。野次馬としては、あらゆるもので需要の小さい地方で話題性と物珍しさでビジネスとしての付加価値をどれだけ創造できるだろうかという点では非常に興味深い。
まずはその困難なものに取り組んでいる若い女性経営者(現代の置屋の女将?)に敬意を表したいし、3人のあきた舞妓には頑張って欲しい。
ただ、個人的には今ではなくもう20年くらい、1世代後から始めてもらったほうが良かったのではないかなと感じている。その理由はおそらく筆者の年齢以上の秋田市中心部の人なら皆チラッと思うことかもしれない。

以前、
ABS、AKT、AABのどれかがテレビ東京系列になる可能性は?
のコメントでも書いたように、『あきた舞妓』というのは誰の創作か知らないが完全に最近の造語であり、昭和30、40年代初頭くらいまで秋田市に存在していたのは川反芸者(見習いは半玉)であって舞妓という京都などに見られる存在ではなかったはずだし実際、大振袖の舞妓などは全くいなかったはずだ。
筆者のややボケの記憶を辿ると川反芸者はこんな感じだ。
川反芸者の置屋があったのは現在の五丁目橋から新政の酒蔵の方向に向かう川沿いの道(現在ラブホがあるあたり)の周辺。外見的には芸者とはいえ時代劇に出てくるような島田系の髪型やかつらの芸者などは(正月以外は)ほとんどいなかったと思う。(大正あるいは昭和初期は結構いたそうだが)
芸者の多くは秋田でも飢饉のあった大正末期や昭和初期生まれで郡部の農村出身が多く、いわゆる口減らしの女子の就職機会(あるいは身売り)だったと思う。独身の半玉が芸者にスンナリ昇格するということはあまり無かったはずだ。さらに川反芸者はシングルマザーの場合が多く置屋はその託児所も兼ねていた。芸者の一部は当時は妾などはごく普通の時代であったため羽振りの良い旦那(主に土建屋)がパトロンになったり、そのまま旦那の後妻として嫁いだりで妻妾同居同然などというケースも筆者は何人か知っている。
そのシングルマザーの子供達は現在は60代くらいかもしれないが秋田市内でも沢山存命のはずであるし、その孫世代もいる。地方特有の閉鎖社会で彼らが育つ中で非嫡出子(私生児)として苦労したことを知っているため、彼らの世代あるいはその次の世代が死に絶えた頃ならば人々の負の記憶も薄れ問題は無さそうだが今はまだ彼らにとっては触れられたくない時代(良し悪しではなくそういう時代だった)の話だろうと推察する。故に、せめてあと20年後くらいならと思うのだ。

昭和33年の売春防止法完全施行で赤線が廃止されたことや40年代の木材不況もあって徐々に廃れたと思うが、踊りや三味線の芸を持つ芸者はその後も『あきたくらぶ』あたりではお座敷の仕事があったはずだ。
しかし、決して芸者=Prostituteではないものの線引きが難しい世界であっただろうことは想像に容易い。筆者の小学校の同級生にもいたが、兄弟とはいえ全く似ていない(父親が違うのだろう)ケースも珍しくはなかった。思春期にはやはり相当に悩んでいる様子だったのが(当時は理解できなかったが)記憶として残っている。
川反芸者へのイメージ(あるいは偏見)というのは多少隠微なものを含む(当時の社会の許容範囲の)”大人の夜の世界”であって、その生活実態では境遇に関しての気の毒さを引きずっていたものが多いはずで、踊りや歌や三味線の芸やお座敷遊びといった京都の舞妓のような煌びやかさや雅のようなものとは少々次元の違う存在に思える。
記憶だけでなく当事者達がまだ存命の現在、風俗の歴史の中から踊りや歌や三味線の芸やお座敷遊びといった光の部分だけを抽出し、これをビジネスにしようとする試みは間違いなくchallengeable(課題が多いという意味で)であり、歓迎しない人々も少なくないはずだ。私生児として一生何かを引きずってきた人々に対する配慮が無いと感じるのは筆者を含めて少数派かもしれないが・・・。

そもそも客側を考えても踊りや歌や三味線の芸といった素養のほとんど無い現代人を相手にするわけで客も良し悪しがわからず、逆に芸を見せるほうも評価の受けようが無いではないか。ヴィーガンの人々に肉料理のPRをするようなものである。(食べないから美味い不味いがわからない)
さらに秋田市では料亭や座敷という空間が既にほとんど消えてしまっているため活躍の場が非常に限られそうだ。おそらく経営者は将来的に自前の”お座敷空間“を作らざるを得ないだろう。
一体どんな活動をするのかが疑問だったが、あきた舞妓のHPを見て少々納得した。
いわゆるホテル・バンケットにおけるイベント・コンパニオンや小旅行のエスコート・ガイド(随伴)が中心のようだ。
余談だが、最近はコンパニオンというのは風俗(フーゾク)限定の用語になりつつありレセプタントあるいはレセプショニストと言うらしいが、これは英語的には外国人にはおそらく通じないし、そもそもコンパニオンという言葉も英語的にはあまり通じない和製英語的なもの(英語と意味が全く異なる)だ。
あきた舞妓のHPやコンセプトには『多くの人に秋田に来て欲しい』というものがあるが、外国人からのリクエストにはどう応えるのだろう。ひょっとすると日本語サイトしか無いのは最初から外国人は相手にしていないということかもしれない。

余計な心配だが、もし、外国人客を意識するなら相当に気を使う必要がある。
欧米では、そもそも酒席で(王様以外に)酌をする女性という日本のような文化・習慣がほとんど無く、芸を見せる女性はショービジネスのダンサーだったりマジシャンやジャグラーだったりでフロア・スタッフとは分業がされているし、当然Prostitutionも分業されている。
脇道にそれるが、現在はProstitutionも細分化されていて、街の中で立っているのは別として、専用の施設に客が行くものとEscort service(日本で言うデリヘル)がある。さらにこのEscort serviceはグレード(?)が様々で、単なる時間単位のProstitutionではなく、数日間の小旅行に同行してくれるものまである。当然ながら、そういう『高級』なEscort serviceの女性は数ヶ国語話せるのが当たり前であり、旅費・滞在費以外に1日数百ユーロの費用がかかるし、観光地のガイドをある程度こなせる知識も必要である。(結構、高学歴だったりする)
興味のある人は、世界各国のサービス業者をネット経由で予約できるサイト(成人向けのため要注意)
Escorts World Wide
などを覗いてみたら各国の相場などもわかるはずだ(日本でも東京、大阪、沖縄あたりの業者が掲載されている)。

こういったサービスが一般的に認知されているのが日本以外であり、あきた舞妓の目指すサービスは当然日本の法律の許す範囲なのだろうが、英語や仏語や独語でWebサイトを作ったなら間違いなく誤解されるサイトになるだろうと心配してしまう。
ショービジネス、スタッフあるいはフロアサービス、さらに小旅行のガイドもするが、Prostitutionとは全く無縁ですといったものが世界に通じるかどうかは甚だ疑問である。
不幸なことにGeishaは既にある種誤ったイメージが浸透してしまったため、この非日常的なものを外国人に正しく理解させるのは相当に困難である。(無論、知識階級はGeishaがProstituteではないことは知っている)

秋田美人という漠然とした(しかし有名な)”ブランド”があり、その美(内面・外見)や芸に商品的価値を作るあるいは経済的価値を生むのであれば、なにもわざわざ過去のネガティブ(人によっては触れられたくないもの)なものが付随するものから綺麗な部分だけピックアップして無理に創作しなくとも、秋田の女性たちが持つ現代的かつ素朴な内面や外見で充分勝負できるのではないかと筆者には思える。
外国人向けに数ヶ国語を話せるような秋田美人ガイドなどのほうがビジネスとしての将来性は高いように思えるのだが・・・。(通訳案内士という国家資格も今はあるはずだ)

on-2153-lあまり難しく考えないでAKB風な『会える**』を目指すコスプレ派遣業なのであればそれまでだ。
しかし、日本の伝統文化がどうのと真面目そうなキャプションを付けるのであれば、(YouTubeで見られるような)大振袖で両袖をクルンとやって立つ所作などは奇妙なので、きちんと末広ぐらいは持ったらどうだろう。
また、五月蝿い人はあの簪と差す位置では舞妓の序列が全く不明だと指摘する人もいるだろう。
“大人の夜の世界”は、無縁な人には全くわからないだろうが、知っている大人は滅茶苦茶五月蝿い世界なのである。何でもそうなのだが、エッセンスだけ集めたり真似や贋物にはすぐに限界があるのだ。
他人がやっているものに文句付けんな!
とお叱りコメントが来そうだな・・・。

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あきた舞妓という不思議なビジネス への5件のフィードバック

  1. 三隣亡 より:

    第二次大戦中の話ですが、徴用の軍需工場で元芸者と元娼婦で働きぶりがまったく違ったといいます。芸者は建前にせよ芸を売っても身は売らぬという心意気、厳しい修行をしてきただけに軍服を作る仕事でも手抜きはせず出来栄えの見事さを競った。一方、娼婦だったものは仕事はいいかげん、ひたすら手抜きで、監督に媚びを売るものも多かったという。韓国や中国、あるいはタイ・フィリピンでも女性が接待する夜の店は基本的に連れ出しというか店外デート(自由恋愛)有りですが、日本でそんな店は地方都市の外国人女性を置くクラブやスナックくらいでしょう。
    エスコートガイドはバンコクでも盛んです。リゾートに男一人旅はありませんから、レンタル恋人とでもいうか、その手の広告はたくさんあります。繁華街のホテルでは一人寝の寂しさを紛らわすための女性マッサージから若い男性まで網羅したパンフレットが公衆電話の横に置いてあったり、中国のホテルでは部屋の電話にロシア人女性から「ニーハオ、一晩〇〇元でどうか?」などと直接売り込みもありました。
    秋田の川反芸者については何の知識もありませんが、地方都市の芸者というと、舞妓というよりは夜の相手もする温泉芸者のイメージが強いかも。川端康成の「伊豆の踊り子」も、当時の踊り子は夜は客の相手をするのが普通だったという説もあります。芸者や舞妓を外国人に理解してもらうのは難しいですが、日本人でも江戸~明治時代の花魁など現代語に置き換えようがありません。外国人が見た明治の日本、浅草寺の境内には花魁の美人画が掲げられていたという。「性」を極めると「聖」に行き着くのでしょうか。

  2. 呆れ顔 より:

    自分もあの秋田舞妓っておかしくね? と思っていた一人です。
    髪型一つとってもどうみても18歳以上なのにあの髪型はダメでしょう。
    京都の舞妓は、西陣織や友禅や簪などの京都の工芸品の言ってみれば歩く広告塔のような役割もあるが秋田にはそんなものは元々ほとんど無い。
    川反芸者そのものが見よう見真似のものだったわけで、それを復活だのとは可笑しすぎる。
    要するにまじめに見てたらいかんよということで、お笑いの小梅太夫を見ているのと同じ感覚で見なきゃ。
     
    秋田を何とか盛り上げるという気持ちはわかるが伝統だの文化だのとまじめなことを言いながら他所から笑われるものを敢えてやらなくてもいいじゃん…と思う。

  3. ひのえ午 より:

    何年か前に歴史ある中通の写真屋さんから聞いた話ですが、昔の川反(建物・芸者)の写真展を開こうとしたら、当時の芸者さんからクレームがついて開催を見送った経緯があったそうです。
    地方の芸者は京都の芸妓とは別物だったのかもしれませんね。
    私が子供の頃、町内には何人か芸妓さんが住んでました。夕方になると着物を着て三味線かついで料亭に向かう後ろ姿が忘れられません。

    • argusakita より:

      岩田写真館さんでしょうか。
      あそこの膨大なコレクションだけで大規模な写真展やったら有料でも結構人(秋田市限定かな?)が集まるでしょうね。
      冥土の土産に見に行く年寄りがワンサカ集まりそう。私も行ってみたいです。

  4. ブルーベリー より:

    シガラミに囚われすに、やりたいことは、今やっておいた方がいいと思う。
    20年後の秋田はライフラインが止まっているかもしれない。

    いつまでも秋田で暮らせるとは思えない。思い残すことのない様に。

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