国道6号線 いわき~仙台

日光を案内した外国からの客人と別れて宇都宮に出て本場(?)の餃子を家内と数件ハシゴし秋田に帰る段になって、ほとんど思い付きでレンタカーを借りてドライブと決定。
翌朝、北関東道上三川から乗り、友部JCTで常磐道を北上、いわき中央で降りて国道6号を北上。昨年9月から自動車のみ自由通行が可能になったため一度実際に自分の目で見たかった(無論、野次馬根性もあるが)エリアである。広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江、南相馬、相馬を通過し仙台でレンタカーを乗り捨てた。

帰還困難地域の富岡~浪江に渡るエリアは道路上に空間放射線量の電光掲示板がところどころにあり、3.2μSv/h~3.8μSv/hが読み取れたが、浪江を通過するあたりから1.6μSv/hという数値も見えた。未だに原発事故は収束していず、放射能汚染は継続中というのが事実だと再認識。今後、核燃料取り出し、汚染水処理などで不測の事態が起きれば再度重汚染が始まらないとも限らない。
楢葉を過ぎたあたりからは6号線沿いの家々は1軒ずつ入口に開閉式フェンスが設置され、ほとんどの家の窓はカーテンが閉められていた。ほとんどの瓦屋根の家の瓦は半分程度剥がれてグチャグチャになっていて、既に人が住まなくなってからの長い時間を物語っていた。
しまむらや家電量販店の店舗はシャッターが開けっぱなしになったままで、天井から配管や吊り天井が落ちてぶら下がったままになっているのが見えたり、ガソリンスタンドは蛻の殻、双葉町の警察署は帰還困難地域にあるためか、臨時庁舎として『ならは道の駅』を使用していた。使われていない駐車場はどこもアスファルトの継ぎ目から背丈の高い雑草が生えていた。
道端や法面の雑草だけが元気に青々としていて自然の力の強さを感じさせたが、住民の姿はほとんどなく、要所要所の交差点には民間の警備員(別に防護服を着ているわけではない)がゲート脇に立っていて、すれ違う対向車の10台に1台程度はパトカーなのが異常な世界であることを改めて教えてくれた。
一応、6号線の一部は歩行者や自転車・二輪車での通行は禁止されているのだが、住人だろうか二輪で走っている人を時々見かけたり浪江あたりでは川で水遊びをしている子供や若者もいて、『うーん、もう慣れちゃったかな』という印象。
あちこちに除染作業で出たものか黒いビニールの1立方mくらいの塊が積んであるものの行き先は無さそうで無言の抗議のようにも思えた。
途中、双葉のあたりで物凄い豪雨に遭い、瞬間的に5m先が見えないくらいだったが短時間でまた晴天。あんな局所的な集中豪雨がこの4年以上もの間何度も断続的にあったとしたら、除染するべき場所は水に聞けといった感じで、個々の家々や道路などのウォータージェットによる除染作業はほとんど無意味なのではないかとさえ思えた。
浪江や南相馬のあたりは海岸線まで見渡しがきくような広々とした原野状態だった。区画整理くらいはしたのだろうが、建物もほとんどなく車も走っていず、遠くに海が見える状態。おそらく、がれき処理が終わって整地し道路の復旧をした時点で電気もガスも上下水道もないまま止まっているのだろう。人が生活できる場所というレベルで見ればなーんにも原状復帰など進んでいない。計画、見込みは一体どうなっているのだろう。
南相馬の道の駅は斜向かいに大きな病院があるせいもあってか、家族連れ等大勢の人でにぎわっていて、それまでのゴーストビレッジ、タウンが続くのと対照的だったし、こちらも何となくホッとしたのが正直な感想だった。

それにしてもあの帰還困難地域を今後どうするつもりなのか。田畑は既に雑草が生い茂りただの段差のある平地になっていて区別がつきにくいくらいの状態だし商店も何もない。
例え5件、10件帰還できたとしても生活や仕事など全くできないだろう。
生活や仕事の場所を突然奪われた人たちの気持ちはわかるが、もはや人間の寿命の物差しの時間では帰還できないのだとしたら、終わりの無いものを『待つ』ことよりも別の場所での人生を求めるほうが前向きとも思えるが、そう割り切ることも割り切れと強いることもなかなか簡単なことではないことも理解はできる。
様々な補償で既に7兆円以上国費が費やされているらしいが、現実のあのエリアでは何も形になっていず、何の解決にもなっていないのは素人目にもわかる。
元々過疎地であり限界集落のような場所を原状復帰させたとしても、以前の人口に戻るわけではないだろうし、戻ってもやはり過疎地なのである。災害によって過疎化が一段ジャンプして進んだだけではないのか?
いずれ廃れて無くなる可能性の高い場所に投資することが国益に沿わないことは明らかであるが例え投資したとしても元の住人達にも益があるのかどうかも疑問だ。生まれ育ち生活をしていた場所に対するノスタルジーに近い感情論だけだろう。それこそがプライスレスな貴重な価値というのもわからないではないが、国民全体の血税をそこに投下するのはどこか納得がいかないのも正直なところだ。
所詮、感情論と経済合理性は互いに議論としてかみ合うわけがない。
整地や道路復旧が終わって生活インフラが無いという状態までで止まっている現状を見ると、国や県としては現実的にはかつての住民の帰還希望者がすべて亡くなるまでこの一見無意味な状態を維持するしかないのかもしれない。

集中復興期間の終わる今年度以降、政治的な大きな決断が必要な気もするが、政府は既に及び腰で 復興=現状維持 という認識にも見えるし、出口、落としどころの全く見えない日本の大課題のままなことは確かだ。

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カテゴリー: 社会・経済, 震災・福島原発, 国政・国会 タグ: , , , , , , , , , パーマリンク