戦後の音楽教育の拙さがジワジワ効いているか?

元匿名希望の傍観者さんの『文化のレベルが違う』というコメントを拝見し、普段思っていることを。
音楽に関しては好みがそれぞれあって当然良し悪しではないので、まずは筆者が学生時代の頃同世代のバンドでカッコイイと思っていたのはこんなのですと。(ジャズやクラシックやロックも聞いていましたが) やはり楽器は人間が演奏してナンボだなと。(みんないい歳になったなぁ(^^))

戦後の教育で大きな間違い、失敗とよく言われるのは歴史教育や道徳教育であるが、それと並ぶくらい大きな間違いでその影響を未だに引き摺っているのだろうと筆者が思っているのは『音楽教育』である。
戦前の音楽教育は本来は明治以来の鑑賞教育、 歌唱教育、 器楽教育が3本柱だったはずだが、軍部の台頭もあり尋常小学読本唱歌 や中等唱歌のような愛国的、儒教精神的な歌唱教育主体になってしまった。いわゆる文部省唱歌のような歌唱教材ばかりになったのだが、敗戦後これらが軍国主義の象徴のように削られ、歌い継がれるはずの日本の歌が無くなった。また、金属が軍需物資として供出されたこともあり楽器特に金管楽器等は憂き目に遭い、演奏者も少なくなったのだろう。
戦後は、進駐軍によってアメリカ音楽(ジャズ、ダンス音楽等)がドッと入ったが義務教育でスウィングなどを教えるわけにもいかず、やむなくクラシック音楽の鑑賞とハーモニカやリコーダーの演奏や楽譜を読めることなどが主眼だったのだろう。このクラシックも指導要綱でどんなものが指定されたのか詳しくは知らないが、おそらくヒトラーの愛したワーグナーなどはご法度だったことだろう。何となく記憶があるのはサン・サーンスの『白鳥』やイェッセルの『おもちゃの兵隊』やハイドンの『おもちゃのシンフォニー』やベートーベンの『トルコ行進曲』『メヌエット』くらいで共産圏の音楽家のショスタコービチ、プロコフィエフ、チャイコフスキーなどの楽曲は小中高の音楽の時間に聞いた記憶が無い。(曲の長さという要素もあっただろうが)
あとは譜面を読むための勉強で無理矢理イタリア語の単語を詰め込むだけで、これでは音楽を楽しむ素地が無くなって当然。
そんな中で歌だけは日本古来の民謡などにあるようなペンタトニック・スケール(五音音階)が日本人の感性に合ったのか演歌が広まった。(ペンタトニック・スケールでも日本の民謡はドレミソラド、琉球はドミファソシドと違い、明らかに琉球は日本とは異なる文化だ)

さらに、柱の3本目の器楽教育、これがイケない。
ハーモニカ(これも今はほとんど使われないかな?)はまだいいが、ソプラノリコーダー、そして中学でアルトリコーダーが一般的だった(筆者の世代)。今はピアニカ(何とマイナーな!)が一般的か。オカリナのほうがいいと思うのだが・・・。
それらの楽器は電気が要らない、ABS樹脂で壊れにくい、メンテフリー(唾抜きしないとカビは生えるが)、吹けば決まった音が取り合えず正確に出るといった特徴があるため指導要綱に盛り込まれたと想像するが、あれが致命的に日本人の楽器離れを助長していると思われる。
特にリコーダーはソプラノがジャーマン式運指でアルトリコーダーがバロック式運指なので中学校で改めて練習しないといけない。バロック式運指を身に付けたらサックス、クラリネット、フルートといろいろな管楽器に移行していける(サイドキーなどもあるので全く同じではないが)ことやリコーダーもソプラノ以外はほとんどバロック式のため最初からバロック式で一貫していたら生涯楽しめるはずだ。
それにも拘わらず未だに小学校のソプラノリコーダーでジャーマン式運指がほとんどの日本は(各国事情を詳細には知らないが)まさにガラパゴス状態。これが何故なのかぜひ理由を知りたいのだが・・・。

もちろん楽器は管楽器だけではないし、高額な鍵盤楽器や弦楽器や打楽器もある。しかし、例え安いオカリナだろうと小さいころから演奏する楽しみを覚えたらこんな楽しいことはないはずだ。無論、徹底的に『聴く人』な人もいる。
秋田では楽器店もあまり見かけなくなったが、別にバンドを組まなくても自分で音を出す楽しみというのは嫌いな人はおそらくあまりいないのではないかと思えるため、演奏する人が増えれば、中古楽器のマーケットも出来て入手しやすくなるだろうし、長く使う人が増えれば修理店などもできるだろう。

演奏を自分で楽しむ人が増えれば、外でちょっと皆に聞いてもらいたいパフォーマーが現れたり、聴く側も耳が肥えてくる。****会館で座席に座って金を払って聴く価値があるかどうかも判断できるようになる。
太鼓と笛という伝統的な演奏も竿燈その他の祭りのときだけではないパフォーマンスもあるだろう。
秋田の行政サイドが芸術・文化を語る時は絵画・彫刻類、舞台芸術を指している場合が多く、民謡もあるがもっと音楽全般を重視してもらいたいものだ。

ランドセルの脇に差していたあのリコーダーでも、スクェアがT-SQUAREになって後から伊東毅の代わりに加入した本田雅人に演奏させるとリコーダーもこうなる。

(さすがに小学校のリコーダーとはモノが違うとは思うが・・・)

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戦後の音楽教育の拙さがジワジワ効いているか? への3件のフィードバック

  1. いやー。スクエアですか。懐かしい。私はもっぱら、「脚線美の誘惑」の頃ファンだったんです。あの真っ赤なショートパンツのCD、アマゾンで探そうかな。
    それにしても、伊藤さん、ウィンドシンセだったかな、まだ演奏してたんですね。

    音楽教育では、一部で言われているようですが、ハーモニカでハーモニー(和音)を扱っていないことが問題のようですね。つまり、吹いたり吸ったりすることで勝手に和音を出してくれるブルース・ハープをなぜ学校教育で使わないのかということです。実際に教育現場では教えようがないかもしれませんが。

    なかなか上手にならない私のウクレレですけど、これこそ電気も使わず、ギターのように弦を緩めなくてもネックが反ることもなく、あちこちに持っていける。ローGにすると、ギターの5フレットにカポをつけた状態の細い弦4本と音階が同じになるので、ギターへの移行も容易。小さな手でもコードを押さえることが可能と、学校教育で扱ってもいいと思うんですが、無理だろうな。ハワイでは幼稚園でウクレレを教えているらしいけど。

    • argusakita より:

      元匿名希望の傍観者さんとはほとんど同年齢くらいかな。
      脚線美の誘惑もよく聴きましたねぇ。ウチは家内がキーボードでバンドやっててCasiopeaの追っかけ同然で、こっちはサックスとギターであれこれ聞いていた・・・そんな時代です。世間ではサザンなんかがいろんな大学で学芸会的に人気が出始めたころかな。
      当時はウィンドシンセというよりもリリコンという商品名で呼んでいたかな。

      ウクレレは奥が深いでしょう。ギターとは違う調弦とか酒飲みながらじっくり2時間くらい聞いたことがあります。オクターブ違うGとか。
      学校教育ではチューニングの必要なものは難しいのでは? それに選曲が難しそう。ブルースがハワイアンになっては何かと困るし。
      その点、持ち運び、耐久性、チューニングを考えると学校ではオカリナだろうと密かに思っています。
      ソプラノリコーダーもバロック式運指でなら賛成ですが。

      大館あたりは街の中、音楽がありますか?

      • そうでした。リリコンだったか、リリコーンだったか、そんな名前でしたね。スクエアから分かれた仙波さんにも興味を持ってましたが、はにわオールスターズを聞くことが出来たのは最近になってです。田舎では売れ筋以外の音は入手が難しい。

        ウクレレはハイGチューニングのほうが音が軽くて好みですけど、ローGというチューニングも普通に行われています。キーが違うけどギターチューニングです。
        ついでに言うと、ウクレレでちょっと前人気だったジェィク・シマブクロの演奏からはハワイアンという匂いは希薄に思えます。ウクレレだからハワイアンではなく、ハワイアンの奏法を行うとハワイアンになるんだと思います。(ところでハワイアンの奏法って?)でも確かにチューニングは面倒ですね。

        大館の町ですが、お祭り以外の時は静かです。老舗のCD店も昨年末閉店しましたし、町中に音楽は皆無です。私は行かないけどパチンコ屋の中くらいだと思います。

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