『戦争で負けてはいけない』『勝てない戦争はしない』という教訓

ユネスコ記憶遺産の件はどこかでニュースにでもなっているかと思いきや、予想通り日本以外では支那と南朝鮮くらいが記事にしている程度で当然ながら世界のどこも関心は無さそうだ。
それよりは、南朝鮮で、
韓国に植民地歴史博物館設立へ 日本の団体も支援
という動きがあるようで、朝鮮人や支那人はとにかく『歴史』を創作し既成事実化しそれを未来永劫に残そうとする執念たるやすさまじいものがある。日本にも確かに災害や事故の慰霊や鎮魂を目的とした碑や塔、あるいは人物の業績を讃えた像を作る事例があるが、連中の場合はそれを将来何かの物的証拠、歴史の記録のように扱うことが狙いのように見えるところがメンタリティの大きな違い(悪意と言ってもよい)を感じる。ただ、欧州特に東欧などでは旧ソ連のプロパガンダ的なそれらの遺物がまだまだあり、『歴史は作り記録するもの』という感覚は珍しいことではない。


それらが今回のユネスコ記憶遺産のようにデジタル・アーカイブの世界にも踏み込むのであれば事実上永久的なものになるため、日本政府が甘い顔して碑や塔や像のようなものと同様に放って置くことが100年、1,000年先に良い結果を残すとは思えない。少なくとも真正性、信憑性に疑義がある以上『日本はこう抗議した』という内容もきっちりデジタル・アーカイブするべきだろう。
また、上の聯合ニュースの記事で『日本の団体も支援』という表現も、日本に拠点がある団体なのかどうかも怪しく、例えば在日の団体も『日本の団体』だったりするわけで、しっかり中身を見ないといけないのだろう。

トルコ・アンカラで自爆テロとみられる爆発があり多数の死傷者を出したようだ。
犯人についてはまたまた右派・左派両方の犯行説やISによるものといった情報が錯綜しているが、デモを行っていたのは左派(クルド分離独立支持のPKKやHDP)で、単純に考えれば右派(AKP、エルドアン首相側)による犯行とも思えるが、左派の自演という可能性もあり、さらにISに空爆を加えるトルコ(NATO、有志連合)へのISシンパによる警告という可能性もある。

元々、6月の総選挙後の連立内閣樹立が不調に終わり、エルドアンは7月終わりに約3年続いたクルド人分離独立派との停戦・和平プロセスの終結を宣言しているため、いつかはこんなテロがと予想はされていた。今後エルドアンはクルド人分離独立派を徹底して叩きに動くだろう。

実は、今回日本を発つときに成田で老夫婦2組に話しかけられ、その夫婦達はウィーン経由でアンカラ、イスタンブールを旅行すると言っていたので時期的にはもしかしてと心配だが、ニュースに日本人犠牲者は出ていないので大丈夫だったのだろう。
ここ数年は外務省のスポット情報でもトルコのイスタンブールやアンカラは注意喚起が頻繁に出されているくらいで危険地域(日本人的には)であり、それでも暢気に観光に来るくらいだから案外腹の座った老夫婦達だったのかもしれない。(日本の旅行代理店は案外危険無視の儲け主義かもしれない)
筆者ならよほど仕事で必要に迫られない限り、中東はもちろんだがエジプト、トルコにはしばらく近づかない。今回の爆発事件でますます潜在的危険度は増すだろう。

トルコがますます内戦ムードが高まり、ロシアが巡航ミサイルに続いてシリアに陸上部隊を派遣(ロシアの陸海空派遣は第一次大戦以来のはず)しそうな状況(地中海側から民間輸送船で輸送トラックなどを搬入している写真がブログ等に上がっている)。イギリスはNATO軍として北のバルト三国に100人の部隊派遣とあちこちで軍事行動の準備(デモンストレーションでもある)が進んでいる。
一昔前なら間違いなくどこかで戦端が開かれ大戦になるコースだが、国家対国家の宣戦布告が行われないため『戦争』ではなく『武力衝突』や『テロ』で事態が推移している。
日本が有志連合側で空爆に参加することは(装備的に無理なので)無いだろうが、兵站その他で参加する可能性はゼロではないだろう。交戦規定も軍法も無いまま自衛隊が参加というのは考えにくいが、安保法制のもう一段突っ込んだ議論が自衛隊のためには必要なのではないだろうか。安倍首相が難民問題に関して先日ニューヨークで『問題発生の根源に向き合う』と言ったことはISと向き合うということと解釈されている。

ユネスコ記憶遺産の件に戻るが、ああだこうだ言っても結局は日本が戦勝国による裁判の結果を受け入れたわけで根底にある『今更』という諦めはある部分仕方がないのは確かだ。
戦勝国による敗戦国を裁くという図式は第二次大戦後あれこれあるが、戦勝国の人道的行為が裁かれたことは全く無い。
リビア、アルジェリア、アフガンなどは全く裁判すら行われないし、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(実質NATOによる裁判)で既に昨年結審しているセルビアのラドヴァン・カラジッチに対する判決は早ければ年内に出るらしいが、セルビアに行けばカラジッチは英雄である。筆者は判決に注目している。
以前も似たようなことを書いたが、戦争という異常な状態で『人道』『人権』を後で論ずること自体がナンセンスに思えるのが普通の感覚で、戦後処理裁判のようなものは、人々に戦争自体の誤りとともに、

『戦争は絶対に負けてはいけない』『勝てない戦争をしてはいけない』

という教訓しか与えない。

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