日本でもPEGIDA(ペギーダ)は起きるか?

ドイツのドレスデンで19日、反イスラムの団体PEGIDA(西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者、ドイツ語 Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes)の1周年を記念する大規模な集会が行われ、主催者発表で約4万人、警察発表で約2万人がデモを行った。これに反対する左派の集会も行われ、両者の衝突で若干のけが人も出たという。
このPEGIDAは昨年ドイツのドレスデンで西欧圏におけるイスラムの暴力的な活動を制することを目的として最初のデモが行われ、その主宰者ルッツ・バッハマン(Lutz Bachmann)が多少カリスマ的存在になっている。団体や活動そのものをPEGIDAと称する。


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今年の2月にはウィーンでも数百人のPEGIDAのデモがあり、同じように左派系の反PEGIDAとの衝突があったし、イギリスのニューカッスルでも『英国ペギーダ』がデモを行ったり、デンマーク、スウェーデン、スペイン、ベルギー、スイスなどでもPEGIDAを名乗る団体が発足している。
1月のシャルリー・エブド襲撃事件の際の抗議デモでは、例のJFKのベルリンでの演説の有名なセリフを模した『私はシャルリ』のプラカードが報道されたが、その中に『私はシャルリ、だがPEGIDAではない』というのも多かった。
これは、イスラム系の人間によるテロ、暴力行為は許さないが、PEGIDAのような差別主義者ではないというものだ。
しかし、あの全国で数百万人とも言われるデモにフランスという欺瞞と偽善に満ちた国(普通の国だが)を感じたのは筆者だけではないだろう。

このPEGIDAは、ちょうど日本で行われている在特会中心のデモのようなもので、イスラムを朝鮮に置き換えるとわかりやすい。
日本で犯罪(しかも凶悪犯罪)の多い朝鮮人(在日・来日)に日本から出ていけという主張はデモなどしなくとも真っ当なものだが、一部には全ての朝鮮人を可能な限り追い出せと主張する向きもある。筆者もどちらかといえばそれに近く、1959年時点で在日朝鮮人約61万1,085人のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人であることが記録としてある以上、残りの大部分は密入国者であり、現在はその子孫が不当にも在日として存在する。
帰還事業をしても南朝鮮が受け入れを拒否したため、人道上日本が受け入れてしまった棄民を難民としてではなく特別何とかといった資格を与えてしまったがために現在もその問題を引き摺っているのが日本だ。
本来、外国人として暮らさなければならないこの棄民とその子孫が日本人として暮らしていることが異常なのであって、これをできるだけ早期に明確な解決をしなければ日本における『各界の朝鮮化』はますます大変なことになる。

ようやく今年の7月9日以降はこの問題の解決に少しずつ流れができつつあるが、まだまだである。
日本人として権利を主張し義務を果たして暮らすならきちんと国籍を取れ、外国人として暮らすなら権利の制限は我慢せよという当たり前のことを当たり前に日本政府が行動しないため『朝鮮人=犯罪者』『出ていけ』と極端な流れになるのである。
これに対抗するC.R.A.Cなどは朝鮮人による凶悪犯罪や各種の特権についての議論には一切組せず、ひたすらトロツキストのような瞞しと”レイシスト”という言葉によるレッテル貼りで意識的に問題を誇大化、歪曲化させて抵抗している。もし、レイシズムが日本で一般的なら、愛知県や群馬県の一部の自治体のようなところは常に暴力沙汰だろう。朝鮮人だけが特別なのである。

lutz-bachmann-adolf-hitlerPEGIDAも基本的には『暴力的なイスラム教徒による犯罪に反対』と『移民によるドイツ人の雇用への影響を排除しよう』というスローガンが主たるものだったが、徐々に民族主義・国粋主義の色彩が強くなり、レイシストと喧伝されるようになってきた。これは主催したバッハマンの悪ノリ(写真)も一因であるが、ドレスデンに限らずイスラム教徒が毎日毎日押し寄せる各国各地では不安と怖れが徐々に広がっているのは当然といえば当然で仕方がないだろう。
対象がイスラム教徒中心から外国からの移民全体に対する反対行動にシフトしてきたため、ネオナチ等の極右勢力と結びつきPEGIDA自体の主張、行動が反イスラムだけではなくなってきている。

オーストリアも含めて各国のこういった動向は、(移民ではないが)外国人である筆者や社員さん達にとっても由々しき問題でPEGIDAの動きは目が離せない。
先日のウィーンの選挙でも亡命者(いわゆる難民)受け入れに制限をという政党が議席を伸ばし、日曜のスイスの総選挙でも同様の右派が議席を伸ばした。欧州は総じて中道左派の政府が多数だが、押し寄せる難民に困惑する地方政府も徐々に増え、右派の声も高まってきているし、最も過激に亡命者流入に反対しているハンガリーのオルバン首相を支持する声も各地で上がってきた。メルケルを『女神』扱いするのは欧州に向かって行進する亡命者(いわゆる難民)だけである。

カナダの総選挙では反対に亡命者(いわゆる難民)受け入れに積極的な左派政権が誕生した。これはもともと移民の国であるという国家の出自の背景を考えれば当然の論理的帰結と言えなくもないが、一昨年だったか支那からの投資を条件にした”投資移民”が増えすぎて、それを制限したのもカナダであり、移民のロビーイングによって左派が力を持ち始めるとそうなるという大きな教訓・警告のようにさえ感じる。ニュージーランドなどは既に数年前から支那・インド移民の力が強くなりすぎ国家自体がおかしくなってきている(国旗も近々変えるようだ)。

日本は、国家の成立からの歴史を考えても他民族に支配されたり、そこから独立したといった明確な記録は無いリニアな歴史しか持たないため、多文化共生だの多言語並立などは経験も無ければ想像もつかない国民が大多数のはずだ。
そもそも未だに大都市を除けば人種の違う外国人が間違いなく目立ち、相互のコミュニケーションなどほとんど見られない国である。
言葉の通じない相手が日常的に周囲に大勢いる状況など全く考えられないのが普通の日本人だろう。そんな状態で、言葉も宗教も生活習慣も違う人間を受け入れられるはずがない。

日本を内側から壊したい勢力が現実に国内に存在することは安保法制審議の過程で日本人も十分にわかったはずである。
亡命者(難民)を受け入れる土壌も無く、受け入れる”技術”、”能力”もないままにただ単に『人道的配慮』といった感情論で亡命者(難民)を受け入れたなら、半世紀かかっても解決できない朝鮮人での失敗を再び繰り返すことになり、さらに将来は、その数の膨大さで国家の存立が揺るぎかねない。皇室制度とは無縁だった歴史的背景を持つ沖縄ですら手に負えない状態ではないか。もし、沖縄のような道府県があと10くらい存在する場合を想定して考えてみたら良い。

レイシストでなくとも今はまだ、日本は亡命者(難民)受け入れには反対すべきである。
ただし、かつて第二次大戦中にシベリア抑留のポーランドの子供たちを引き受けたように、可能ならばシリアの幼児やその母親といった弱者だけは医学的見地・配慮で短期間滞在を認め保護するくらいの協力はすべきではないかと思う。(日本の外から見たら日本は間違いなく国際的負担を分担すべき経済大国なのだから)

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