そんなに都合のよい移民ばかりが来るわけではない

東京に戻るたびに外国人が増えたなという印象を持つが、秋田に戻ると全くそうは感じないのは、結局のところ、秋田に限らず日本人にも人気の無い過疎化しつつある場所は旅行者を除けば外国人や移民にとっても生活の観点では魅力的ではないという至極当たり前な話なのだろうと感じる。(観光地も同じかな?)
河野行革相(何故、氏が大臣に?)が『名目GDP 600兆円』達成のための手段の一つとして、移民の受け入れを検討すべきだとの考えを披露したそうだ。同時に『この問題は時間もかかるし、感情的になりやすい』と指摘し、十分に議論を尽くすべきだとも発言したそうだ。
国内で議論しても入ってくるのは『日本人』ではないというのに・・・。

GDP600兆円という目標(2015年度見込みは504.9兆円)というのは、2015年2月12日の経済財政諮問会議による試算で発表された計数表の『経済再生ケース』に書かれてある2020年度599.4兆円、2021年度621.2兆円をそのまま話しただけで(実際、甘利経産相も少し前に”東京オリンピック後”にと発言)河野行革相独自の予想でもなんでもなく楽観的な見込みに過ぎず、捕捉すれば『ベースラインケース』(大体はこのセンあるいはそれ以下で現実は推移するのだろう)では、2020年度543.8兆円、2021年度551.5兆円である。
まあ、GDPの数字自体は例えば持ち家の帰属家賃などの計算式は全国を4つのエリア(東京都、関東3県(埼玉、千葉、神奈川)、関西3府県(京都、大阪、兵庫)、その他の道県のわずか4区分)に分けた実に大雑把な”みなし計算”のため、5兆や10兆は動き得る数字であるため、そんな(ある意味)曖昧な目標達成のための『手段』に移民を受け入れるというコンテキスト自体がしっくりこない。

経済成長イコールGDP増加で語っているのだろうが、経済成長は人口増加、技術革新、社会資本蓄積の3つがバランスしなければできないことくらいは基本的によく知られていることであり、移民を受け入れ、消費(衣食住)の拡大と低賃金労働による公共事業による社会資本蓄積はある程度期待できるのだろうが、実際には低賃金労働者層の1人あたりの購買力は期待できないためスケールメリットが生じる『頭数』が必要になり、一方で社会資本蓄積は主としてオリンピックに向けた首都圏の新しいインフラと(本気でやっているのかどうかも怪しい)東日本復興はそれなりに目立つかもしれないが、実は重要な老朽化したインフラの更新といった部分では新たな蓄積とはならないことは明白だ。
日本での(技術的・制度的)制約が理由の一つで海外に拠点を移した筆者にしてみれば、窮屈すぎる日本のビジネス・技術環境は未だに大きな変化は無く、そこだけを見ても技術革新につながるような高度な人材が日本を目指してやってくるとは到底思えない。法人レベルで考えてもどんなに地方が立地条件緩和や優遇税制等で”おいでおいで”してもほとんど魅力が無いのが現状の日本だ。ビジネスとしては地方に移転・立地するなら明らかに海外に移転・立地したほうが得だからである。
つまり、日本が望む移民といった場合には理想的には購買力があり高度人材ならばWelcomeだろうが、それと同時に低賃金であって欲しいという(土台無理な)要求を満たしてくれる移民というのはあり得ない。

(多少、移民と難民を混在して書けば)欧州では現在、多数の政治難民とそれを遥かに上回る数の経済難民に対して感情的な同情論はだんだん少数派となり後者の難民認定できない連中は例え幼子を抱えていても強制退去、母国送還が原則になってきている。当初ドイツのメルケルが言っていた『道徳論』も『ドイツの道徳押し付け主義』と国内外から批判を浴び、結果欧州全体では『道徳』面で善し悪しを別に『対処』の足並みを揃えようとしている。当然ながら、いわゆる『人権派』の声もトーンダウンしてきていると感じる。難民キャンプの苦情や小規模暴動、衛生状態、既存の住民との軋轢、福祉のFree Ride、密航ビジネスや犯罪が顕在化してくれば『道徳論』など吹っ飛ぶのは誰もが予想したことだ。

受け入れた難民の中にも母国では手に職を持って立派に働いていた連中も先進国に来るとその職を生かすことはできず(資格や技術レベルの問題で)、別の職業の低賃金労働の環境で甘んじなければやっていけない現実があり、ドイツにあるミニジョブ(非正規・パートとは違う実験的な最低保証制度)の制度でもそのうち低賃金労働者はさらに追い込まれ居住地域はスラム化しそうな予想が一般的だ。生活物価を考えれば当然の帰結のはずだ。
難民は『夢』を持ってやってくるが、移民先でそれが実現可能かどうかはすぐにわかることで、日本では例えば介護・看護などは資格が厳格な必要だし、土木・建設現場でもそれなりの資格が無い限り底辺労働者からは抜け出せない。例え母国で大卒で何らかの資格があっても日本のかなり厳しい『高度人材ポイント制による出入国管理上の優遇制度』などでは母国並の生活水準は相当に困難なはずだ。先進国に行けば農業などの一次産業以外が待っていると『夢』を見ているはずなのだ。

低賃金労働者をザクッと入国させた場合、彼らがその底辺で大人しく暮らすならそれはそれで成り立つはずだが、多少なりとも向上心があり学歴や職歴があるなら高賃金を目指すはずで、企業側から見たらより低賃金の労働者を求めどんどん使い捨てで入れ替えを行っていくだろう。職にあぶれた移民が増えていくのは目に見えている。
例えば、そういった移民が母国でやっているように屋台風な飲食自営業(ケバブ屋など)などを始めようと思っても日本の社会は規制・法令(自治体・警察・保健所等)で雁字搦めのため簡単ではない。住む場所についてもそうだ。日本では勝手に空き地に小屋を作って住むことは山奥以外あり得ない。
特に犯罪者ではなくとも職を失ってもなお日本を出て行かない集団は必ずコミュニティを作る。スラム化し、徐々に治安に影響を与える。
教育、福祉、医療で移民もカバーしようとしたら『大きな政府』がより肥大化していき、消費税もどんどん上げざるを得ないだろう。下手をすると移民にかかるコストが倍返しになって跳ね返る可能性すらある。移民を入れるなら極端な話、社会福祉を削減し『夜警国家』になるくらい『小さな政府』を目指さなければ算盤が合わなくなることは間違いない。しかし、日本人公務員を大幅に削減していく方向性は官僚支配の日本ではあり得ない。

大人しく日本の社会に溶け込み、日本的ルールを守り、独自のコミュニティを作らず、小奇麗な格好をし衛生的な生活水準で暮らし、税金も払う。しかし彼らは低賃金でないと困る・・・といった相反する現実的に困難な条件を日本や日本人が希望してもそんな都合のよい移民・難民がやってくることは決してない。
『こんな移民に来てほしい』などという幻想を持つことは土台不毛である。
戦後、密航で不法に入国し滞在してきた朝鮮人達が今どうなって、日本の社会に影響を与えているかをきっちり総括したら、いかに日本の社会が移民・難民に対して準備ができていないかがよくわかるはずである。国民一人一人の異なる言語や習慣に対する心構えも大きな要因だが社会の仕組みとして準備ができていない。均質性が強い日本で多文化共生というのは対局にあると言っても過言ではないかもしれない。

ニュースでは知っていたが、先日のトルコ総選挙に関わる渋谷のトルコ大使館でのクルド系との小競り合いの動画を見たが、あんなのは欧州では日常茶飯事と言ってもいいくらいなものの、警察官がオロオロしている様が『準備ができていない』証拠のように思えた。
道を尋ねて教えてくれる優しい・暢気な『おまわりさん』などはもはや不要で、言葉が通じない移民・難民が増えてきたらヘルメット被った武装警官が多くならないと日本の社会の治安維持はおぼつかない。移民や難民を受け入れるということはそういうことだと筆者は思う。

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そんなに都合のよい移民ばかりが来るわけではない への3件のフィードバック

  1. ブルーベリー より:

    「移民を入れても、住みにくい秋田県には来ない」 と言う事ですね。
    消滅予定の地域に根を下ろす愚かな選択はしないのです。

    それに移民は、中韓かイスラムだと思いますし・・・リスクが高い。
    自動運転、ドローン、人工知能などで少子高齢化対策をしたほうが現実的かもしれません。

  2. 役人の頭は田分けだけど、役人の権益は絶対田分けしないということですか。
    ・・・・。
    それと秋田の現実も・・・。

  3. ばんそうこう より:

    人口は半分になったら、農地は2倍になる、全員がセカンドハウス持てるようになるというくらい、大らかに考えたらどうでしょう? ネットで買い物できる時代なのですから、そんなに不便になることもないと思いますが。移民など受け入れる必要はまったくないです。

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