大学授業料の値上げ想定は無策の極み

朝日新聞によれば文科省は国立大の授業料が2031年度に現在の年間約54万円が93万円程度になるという試算を発表したようだ。
16年後ということだから現在3歳の赤ん坊が大学に行く時期でさほど遠くない将来だが、2%の物価上昇を反映したとしても70万円台なわけで、もっと物価上昇するということか、あるいは少子化で大学生の人数が減るものの施設維持や教職員の維持にはそれだけ必要という相変わらずの公務員優先指向の試算か。

筆者は大学については何度も書いてきたが、持論として、
少子化対策には短命化、低学歴化、重婚容認を
するのが良いと考えている。
低学歴化というのは、国民全体の教育水準は維持しながら学歴偏重をさっさと止め大卒や院卒を”希少”なものにすべきと思うからである。これは特権階級を作るべきと言っているのではない。
世の中には本当に学問や机上の勉強が好きな人間、あるいはそれぐらいしか能の無い(と思い込んでいる)人間もいる。また基礎科学のように営利企業ではなく大学という学究環境でなければ研究や開発ができないものもあり、本当にやる気のある人間達には大学や大学院間違いなく必要なものである。
日本はOECD加盟国の中でも国民全体の教育水準(読み書き主体)の高さや若年層と年寄り層の教育水準格差の少なさにおいてはトップである。GDP比で国の教育関連支出が少ないと指摘されるが、国民全体の教育水準が元々高いことと老人福祉が大きいため割合がそうなるのであって、途上国的な視点や高齢化していない国との比較で評価されても無視して良いと考える。
同じように学歴重視の南朝鮮や支那などはその後者の格差が大きく歴史の無い国の付け焼刃的・成金的なものなのだから全く比較にならない。
日本はどうみても既に明治期のような対欧米の途上国では無いのだが、何故かマインドが未だに途上国・後進国なせいか、とにかくどこでもいいから『大学』を卒業して・・・という価値観が未だに継続している。まずはそのマインドを社会全体から払拭して学歴偏重を止め、手に職をつけたり芸術・文化などを含めて専門的なチャレンジが出来るようにすべきなのだ。日本人に必要なdiversityはこんなところにもあるのではないか。

低学歴化のためには大学を希少なものにし、高校をもっと専門学校風な職業学校システム(医学・歯学も含めて)にする必要がある。(もちろん普通科・理数科等は少数必要)
国立のいわゆる駅弁大学は、戦後の180度変化した価値観のための義務教育教員の養成と地方によっては地元製造業等の働き手養成を目的として各県に配置された(と想像する)。
また、荒廃した国土で特に地域の都市部の文教地区のランドマークとして設置され、商業・住宅地区との分離といった都市計画上の目的もあったと思われる。国立大縮小となれば真っ先に候補になる秋田大学などはまさにこれらの典型である。
しかし、もはやその役割は全て一区切り付き、経済的に余裕のない家庭の<取り合えず大学>を指向する若者の受け皿と大した研究設備も無いままに学究生活を続けるなんちゃって教員事務を受け持つ職員という公務員(とそれに準じた労働者)の雇用の受け皿に過ぎない。各駅弁大学の地元出身者の割合が高いのかどうか数字を見たことはないが、交通が不便なところ以外は案外その割合は低いのではないかと推察する。もしそうであれば、卒業者が地元に就職する機会も低く、地域への貢献といった役割も果たしていないことになる。<自治体名>大学という大方の駅弁大学はほとんど存在価値が無い。

大学というのは教育機関であることと同時に研究機関でなければならないはずだが、後者の役目がほとんど無い名前だけの大学(あるいは日本で言う”大学”)が多すぎる。
両者を兼ね備えた学部が5つ程度以上ある総合大学を除いて、全部専門学校にしたらいいのだ。
日本では適当に”大学”を標榜するからおかしなことになっているが、日本で世界的な(例えばイギリスのUCAS基準)見方で見て”大学”と呼んでも良い高等教育機関は一体いくつあるだろう。筆者の大雑把な推測では私立も合わせて70~80くらいしか無いのではないだろうか。
そもそもまともな大学というのは運営に金がかかる。例えば昨年度の予算規模の概算額は、各大学の収支決算公表資料から、

東京大学  2,100億円
慶応義塾  2,200億円
早稲田大学 1,010億円
明治大学   730億円
秋田大学   370億円
秋田県立大学  55億円
国際教養大学  22億円
※私大は附属学校分も含む。ちなみに秋田県、秋田市の年間一般会計予算はそれぞれ6,000億円強、1,500億円弱という規模である。学生数を考えれば東大が如何に特別かは誰でもわかるはずだ。

となっていて、この予算規模から考えても“大学”とは言っても同じような教育・研究機会、内容ではないことは明らかだ。(しかし、事務方の給与はさほど変わらないだろう(^^))

駅弁大学を教職員の雇用機会のために維持し、16年後に授業料はこうなります・・・といった馬鹿げた発表は無策の極みだ。
私立大への助成金の問題はそれこそ憲法違反の論点もあるため触れないが、学歴偏重を社会から払拭し、高校の専門学校化を推進し、まともな大学を希少なものとし、本当にやる気のある学生だけ入学させて学費の完全無料化をすることこそ16年後の目標にすべきことではないかと筆者には思える。

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大学授業料の値上げ想定は無策の極み への2件のフィードバック

  1. 一納税者 より:

    国立大の授業料や入学料、検定料(受験料)はここにありますが、私は252,000円の時代です。昭和50年代までの金額が真っ当だった気がします。
    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/005/gijiroku/06052921/005/002.htm
    平成に入ってからは、貧乏人は国立にすら入れない、私立なんてとんでもないという感じ。
    ずいぶん前から本当は国は『低学歴化』を狙っていたのではないでしょうか。

    • argusakita より:

      懐かしい数字です(^^)。
      授業料が高くなってきたにもかかわらず進学率は上昇しているのが不思議の国、日本。
      受験産業のせいだろうなと個人的には思っていますが、大学とはどうあるべきかといった本質的な議論がされないまま大学生の低レベル化が進んだのは60年代、70年代の学生運動でインテリを集めておくとロクなことがないので質を落とせと政権が判断したからだという話も聞いたことがあります。案外、そんなものかもしれません。

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