同性婚は別の概念・用語の創作が必要

20日、スロベニアで同性婚を認めるかどうかの国民投票が行われ、63%が反対で法案不成立の模様だ。
今年は6月にアメリカで最高裁判所の『全州で同性婚を合法化』判断が示され、5月にイタリアやドイツでもゲイのカップルのためのより多くの権利を認める法案の検討が行われたり、アイルランドで同性婚容認が国民の過半数に上るなど同性婚を巡る話題が時々出ていた。
東京の渋谷区でも法的な裏付けはないものの区が認めるパートナーシップ制度が発効したり、だんだん理解が難しい状況になって来た。


今月10日には岐阜県議藤墳守氏が『同性愛は異常』とヤジを飛ばし、それが声高に非難されているが、議員という公職と県議会でのヤジそのものは非難されても仕方が無いものの、『同性愛は異常』という見方そのものが批判されるのはおかしいと筆者は感じる。
日本語的には須らく通常でないものを異常というのであり、単純には数の多寡で認識されるのであり当然変化・逆転の可能性もあるのは当たり前だ。
最近は当たり前のことを当たりまえに言うとガツンと批判される風潮があり、これに限ったことではなく、このことも『異常』に感じる。

欧州で仕事、生活をしているとゲイのカップルは数こそ多くはないもののごく普通に見かけるし、ドイツの第二次メルケル内閣で外相だったギド・ヴェスターヴェレ(Guido Westerwelle)や前のベルリン特別市市長だったクラウス・ヴォーヴェライト(Klaus Wowereit)などは有名な(?)ゲイで公式の行事などにもパートナーを平気で連れてきていた。(二人ともロシアには入国できなかったはずだが)
オーストリアでも同性婚は認められていないもののパートナーシップ制度はあるせいか街を歩いていても時々見かける。

筆者にとってはやはり同性愛そのものが個人的には正直言って『理解を超えたもの』であるため一番短い単語で言えと言われれば間違いなく『異常』と答えるという感覚だ。
せっかくオス・メスで分化して生まれたのだし、例外もあるだろうが生物としてごく普通に異性を求めるほうが自然だという伝統的な感覚で深く考えたこともあまりない。
ただ、現実にゲイは存在し、仕事も普通に、中には上記大臣や市長といった公職も務まるのだから人間として社会的には何の過不足も無いのだろう。
幸か不幸かまだ社員さんの中にはゲイはおろかいわゆるLGBTはいなさそうなので社内では特段問題は無い。(準備も出来ていないのだが)
しかし、そのうち目の前に現れたらどうするかは時々考えたりもする。
結局、仕事を通じての付き合いになるわけで、やるべきことをやってもらえばOKだし、LGBTを抱えることで何らかの新たなコストが生じる場合には経済合理性だけで判断しようと決めている。
要するに、理解はしない・できないが、差別はしないし特段便宜を図らないというスタンスだ。

同性婚の議論でどこか違和感があるのは、歴史・文化・宗教的な背景を考えて『結婚』は男女によるもので法律用語の『婚姻』もそうだが、漢字の意味もそれぞれ男女を前提にしたものであるにも拘わらず、その概念や制度あるいは権利に無理矢理同性愛・同性婚を押し込めようとしていることだ。そこがどう見ても無理スジである。
それ故に反対者からは異常と言われ、賛成者からは差別だという噛み合わない議論になる。
同性愛者が全て同性婚を望むのではないだろうが、同性婚という単語を破棄して結婚あるいは婚姻という単語とは別に何か別の概念・単語を創作したらどうなのだろう。
仮にそれを●●(婚とかいう漢字は使わないもの)と呼ぶことにして、人類の歴史に無かった(目立たなかった?)●●を新たな概念、単語として確立させたらよい。
そうすれば、普通の結婚、婚姻を求める人からは『ああ●●ね』で済む話だし、●●したほうは結婚・婚姻と同等の社会的権利を寄越せとこれからも独自に頑張ったらいいのである。その運動は普通選挙権要求運動のようなものかもしれないし、女性参政権要求のようなものかもしれない。
その際に勘違いしてもらうと困るのは、マイノリティ(少数派)イコール弱者ではないことだ。
LGBTは少数派であるのは現実であり、民主主義社会でマイノリティ(単純に数的な意味で)がいきなりアプリオリな権利があるかのような主張してもらっては困る。

世界中では、少なくとも表面的にはものわかりの良い国が増えているのか同性婚を認める国は確かに増えているようだが、それが社会や政治体制に影響を与えるものではないことがだんだん明らかになってきたから(馴染んできたから)なのだろう。
日本の渋谷区のようなパートナーシップ制度を持つ国も増えているが、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーでは同性婚を認めることになったためもはや登録はできないと聞いた。

●●が増えたら子供が生まれない、人口減少になるではないかという積極的反対論もあるだろうが、筆者はあまりその危惧は感じない。
生物と言うのは絶滅・繁栄のどちらの方向に行くかの運命は決まっていて、一つの●●という要因だけでそれは影響を受けないと信じているからだ。

●●という単語を日本語で生み出せないうちはそのマイナー派は確固たるポジションを確立させることはできないだろう。パートナーシップ制度といったTPPと共通の鵺のごとき単語はまやかしである。
いろいろな外国語を訳し日本語の単語を創作した福沢諭吉ならこの●●を何と名付けるだろうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ 
(blog rankingに参加。ご協力を。Click it!)

広告
カテゴリー: 社会・経済, 海外 タグ: , , , , , , , , , , パーマリンク

コメントを残す(短めにどうぞ)

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中