どうやら欧州の熱狂は醒めたようだ

約一か月ぶりにウィーンに戻った。戻った足で手掛けているプロジェクトの客先回りのためワルシャワ、ヘルシンキと飛び帰着。
どこの空港も念入りなセキュリティチェックやボディチェックで、少しでも疑念のある人物は別室というパターンで、周囲には小銃を抱えた連中が目を光らせていて、こんな状態が恒常化したら仕事で飛び回るのも億劫になる。テロの威力は一時的な暴力事件よりも長期間にわたる社会の緊張感や警備に関わるコストという現実的なものにも大きな影響があることは確かだ。

あちこちの新聞サイトやらTVを見ているとasylum(アサイラム)という単語が目につく。亡命者、避難者という意味だが、これが多くなってきたということはやはり難民(refugee)に対する厳しい目が多くなってきたということで、ここ数か月で欧州での流入アサイラムに対する世論というか感情が様変わりしてきているようだ。
『熱烈歓迎』の熱狂状態から『選択限定受け入れ』段階に入っていて、むしろ各国の右派の躍進に影響を与えているだけのように見える。
アサイラム受け入れについて人道的見地・人権で優等生的な発言をしていたスウェーデンもついに受け入れ数の物理的限界を言い出し、デンマークはドイツからの流入を制限するために国境管理を厳格化し、シリア、ヨルダン、アフガニスタン以外の出身者以外は受け付けず、15年ぶりにデンマーク・スウェーデン間の国境のエーレスンド橋(Öresund Bridge)の相互の自由通行を停止したようだ。EUの象徴であるはずの人の往来の自由は大幅な後退となり、事実、シェンゲン協定による加盟国間の自由な往来はこの半年程でほとんど有名無実になっているような印象だ。

ドイツのケルンでは大晦日に北アフリカ系やアラブ系の移民と見られる約1,000人の集団が数十人ずつに分かれ女性相手に強盗、暴行を繰り返し60件の被害届が出されたそうだ。こういった事件が起きるともはや世論の『熱烈歓迎』は消えてしまう。ミュンヘンでのテロ情報に基づく厳戒態勢によるイベント中止なども欧州のあちこちで起きそうで、アサイラムのシンパ達もすっかり活動しにくい状況になっている。
欧州では冬期間は音楽・バレエ・オペラ等のシーズンでもありテロリストにとってはターゲットの多い時期でもある。(モスクワのチェチェンによる劇場テロを思い出す)
メルケルも連立の閣内で批判を浴び、『女神』の役割も静かになっているように感じる。年頭の挨拶で『欧州の人道主義・人権意識が試されている』といった主旨の演説をしたようだが、各国にしてみれば『余計なお世話だ、ドイツが全部引き受けろ』的な風潮がありそうだ。

そんな欧州各国の足並みの揃わない状況も知らないのか相変わらずギリシャにはアサイラムの乗ったゴムボートが毎日のように到着しているようで、目指すドイツやスウェーデンが既に受け入れに制限を明確にした以上、そこまでの経由国、マケドニア、セルビア、クロアチア、オーストリア、ハンガリー、スロバキア、チェコなどの経済的に余裕の無い国々がどう対処していくのかはEUの人間でなくとも大いに疑問だ。経済的に余裕が無い国々は入国そのものを厳しく制限するだろうし、不法な滞在者は簡単に強制退去処分にしてしまうだろう。ブルガリアやモルドバあたりが取り合えずの送り先になるだろうか。
EUの問題として腰の引けている国連(事務総長が無能という指摘もあるが)のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ではどうしようもない状態だが、既にメディアも各国の事情を報道するだけで他国の批判もせず(できなくなった)欧州全体の世論作りは諦めたように見える。(元々無理だとわかっていたこともあるだろうが)

当初、『女神』メルケルの発言で歓迎の熱狂が起こったのは欧州では当たり前かもしれない。歴史的にこの100年ほどを見ても、ロシア帝国のユダヤ人弾圧に伴う難民発生、西側への流入に始まって、第一次大戦、第二次大戦でのベルギー難民、ハンガリー難民、ポーランド難民、ユダヤ難民(イギリスが強制帰還させた)など欧州の歴史は難民の歴史と言ってもいいくらい滅茶苦茶だ。このうち難民が本来の居住地に大部分が戻ったのはベルギー難民だけということだ。
そのため、民族のハイブリッドが進み現在では●●人という意味が非常に希薄(特に都市部)の状態である。かろうじて名前がその人間の父方のルーツがだいたい想像できる程度になっている。
おそらく、3世代、4世代前の自分のルーツ(家系や血統)をきちんと知っている欧州の特に大陸の人間は一握りだろうと思われる。知っている人間はほぼ貴族階級の出身か特定の被差別地域(フランス・スペインのカゴのような)の出身者くらいだろう。
日本の場合は、普通であれば3世代くらい前まで書類で確認できる(筆者は7代前まで遡れた)だろうし、DNAレベルでヤクート人やブリヤート人と共通点が指摘されているほど民族・人種的にハイブリッドは遠い古代の話になる。(東北人と関西人が結婚してもハイブリッドとは言わない)

例え難民の歴史が無くても陸続きの大陸では自然とハイブリッドが進むため、さほど人種間そのものの問題はない(個別にはあるが)が、民族、宗教が絡むと滅茶苦茶複雑で厄介なことになるのが欧州だ。
公的な統計などを見ると、日本の場合は地域(都道府県等)、年齢別などがメインだが、欧州の場合は『宗教別』(これに支持政党も絡む)が多く、またアメリカでは『人種別』という統計がよく見られる。こんなところにも日本の特殊性は垣間見える。

『居住する国に同化(言語、生活習慣等)し、真っ当に働かない外国人の面倒を見る必要はないし、退去してもらうのが当たり前』
難民がよく口にする『ただ教育を受け、働き、自活したいだけ』という『普通の』考えはどこの国の国民も当たり前に思っていることなのだ。
これが現在の欧州各国の普通の国民の意見だろうと思われるが、これを戦後間もない頃にきちんと発言する政治家が少なかったことが、現在の日本の在日棄民問題であり、南朝鮮の内政問題(戦時売春婦、徴用工等の問題)に日本が関わらなければいけなくなった不幸の根っこである。

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