皇室に対する筆者の考え方

現皇太子を『廃太子』して秋篠宮の悠仁親王を次代の天皇とすべきと過去に何度か書いているがそのたびに不敬だの何だのとメールをもらうのでウンザリだ。不敬を十分に承知で筆者の『願望』を書いておくことにした。
具体的には、まずは廃太子して次代は悠仁親王と決めておき、万が一親王が18歳(現皇室典範でいう成年)になる前に今上が崩御された場合は、現皇太子、秋篠宮の順で摂政とし、あくまでも男系、長子による皇統の継続を願うものである。また悠仁親王が成人後、結婚されるときはきちんと立后を皇室会議で決めてもらわなければいけない。(現皇后殿下はこの手順を踏んでいないため本来は敬称は美智子妃でも良いはずだ)
皇室典範では皇太子が皇位継承権の辞退をすることは認められていないが、皇室会議の議により、皇位継承順位を変更することは可能なはずである。

何故、廃太子すべきか。
一言で言えば、今上のような『徳』を感じさせず、国民統合の象徴にふさわしくないからだ。
また、海外にいて時々話題になる記事などを眺めても、将来日本国を代表する元首(と筆者は思う)としての威厳を感じさせず、日本国民の統合の象徴であるはずの将来の天皇がいつもほとんど一人で行事参加ではどこか象徴にふさわしくない。シングルファザーのような状態では何かの不足・欠損を感じさせるからだ。
精神的な病とされる皇太子妃や愛子内親王(先天的かどうかは不明だがあの逆バイバイと指先の不自然な硬直は疾病だろう)には必要な加療に専念してもらうべきで、そのためには皇太子の父親としての役割が必要かつ大きいだろうからである。
今のままでは、将来、天皇・皇后両陛下が揃って各地を訪問し『徳』を感じさせることはあまり期待できない。

無論、悠仁親王が成人するころに医学的に『普通』の範囲内かどうかは未知数で、普通であってもひょっとしたら今風にLINEなどをやりとりする軽めの若者になりかねない環境が今の日本にはあるが、そこを今から祭祀教育等を通じて立派な126代目天皇陛下となるべく王道教育をしてもらいたいと願うのだ。
ちなみに日本の憲法学者の大方の常識としては戦後皇室制度は刷新されたため、今上は2代目天皇と解釈されている。(安保法制の議論で明らかになったように屁のツッパリにもならないのが憲法学者だが)

皇室・皇族の問題は日本では3大タブー(菊、荊、鶴)の一つとされ、宮内庁という特殊な行政機関によって公開されない部分が多いため、噂、詮索、誹謗、中傷が絶えない。
例えば、皇后殿下の出自や皇太子妃の出自が部落や朝鮮人とされるといったものや天皇陛下の3人の親王はそれぞれ実父母が異なる組み合わせだといったものだ。
写真やドキュメントによる傍証はあれこれ見聞きするが、細かな事実、例えば正田家は粉屋ではなく群馬の醤油屋の末裔だの、お笑いの江頭2:50(こっちが本家)が皇太子妃の縁戚であるといった断片的な事実から全体を把握するのは不可能で、我々庶民(筆者のような士族の末裔も含めて)には当事者達の証言を聞かない限り噂や詮索の域を出ない。
タブーを一生懸命に追及している人たちも多いが、下衆の勘ぐりをしても仕方がないと筆者には思えるし、皇統つまり天皇家の家系は神代から現在まで125代続いているものの、それが血統を示すものではないことは少し歴史を学べば日本人なら皆わかることである。古代の天皇が朝鮮とのつながりがあったからといって、現在のあの半島に生息するクズな朝鮮人と古代の朝鮮人では人種も文化も全く違うことがわかっている。
ちなみに、筆者は明治天皇すり替え説は傍証の多さから事実だろうと思っている。

DNA鑑定の技術がある現在、それを駆使して皇室の血統を検証してみても何の意味も無い。
学説では10代、15代、26代以降が実在の天皇だとする説がそれぞれあるが、26代の継体天皇以降が実在だとしても少なくとも1500年以上は続いているのが皇室である。
世界のどこを見ても1500年以上継続している王室、公室は無いし、それに科学(その技術を持っている日本が)のメスを入れずに『国民統合の象徴』として崇めることが日本のアイデンティティであって、そこだけは思考停止して構わないと筆者は感じる。
量子力学でノーベル賞をもらう人間や施設・環境のある日本に『万世一系』というミステリアスなものが共存していることが不思議の国ニッポンなのである。
100%近い日本人が天皇は現人神であるなどとは思っていないはずで、思考停止と同時にその伝統的な継続を望んでいると思われる。
ただ、その伝統的な継続の過程で多くの国民から疑問符が付くような状態では困るのである。日本では権力と権威が分離されていて、比較的新しい朝鮮人ルーツとされる小泉や菅や鳩山が首相になって権力を掌握しても皇室の権威(国民が感じる)だけは絶対に揺るがない。
それが皇室であり、それを(思考停止的に)是として守っていくことが『象徴』の意味なのではないだろうか。無論、権力側からの悪しきアプローチは排除してもらわないといけないが、庶民には手の届かない世界ではある。

要は、現在の皇室にあって国内や海外での言動、大衆の面前での立ち振る舞いから感じられる『徳』というかオーラのようなものが重要なのだ。そこから考えて未知数の悠仁親王に期待する筆者の考え方は理解してもらえるのではなかろうか。

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皇室に対する筆者の考え方 への4件のフィードバック

  1. さいとう より:

    こんばんは。あなたのように意見を言う方が、これからどんどん増えていくようにしないといけないですね。わたしも、現皇太子はテレビの映像だけ拝見すると、?がついてしまうのですが、それはテレビだけの情報であって、もしかしたらすごい力を持っているかもしれません。すこし?の人でも不思議な力をもっている人もいます、例えば仙台四郎のように。
    江戸時代の後光明天皇は数々のエピソードがあります。後光明天皇の周囲の官僚たちは、「ダメだから他の方に交替」とならずに、決死の覚悟で天皇をおいさめしたり、とにかく天皇と格闘しています。いまの宮内庁官僚は、どうなのでしょうか?「皇太子殿下のお考えだから、本人の御意思を尊重して・・・」などというふうにことなかれなのでしょうか?
    「開かれた皇室」という言葉をよく耳にしますが、開かれて公開されなければいけないのは宮内庁職員の仕事っぷりではないでしょうか?なぜ天皇・御皇族の御状況について、国民みんなに説明し、国民の関心を集めようとしないのでしょうか?積極的に天皇・御皇族を知ってもらおうとする努力が宮内庁には足りないように思えます。
    まず、皇太子殿下がどのような状況かよく知ってからでないと、テレビで見るだけで判断するのは早いと思います。
    関係ない話になりますが、現在、天皇皇后両陛下はじめ御皇族全てが都心にお住まいですが、防衛・防災の面からいって大丈夫なのでしょうか?
    天皇皇后両陛下は東京、皇太子ご一家は京都、秋篠宮様ご一家は太宰府、○○宮様は仙台とかそれぞれ分散してお住まいになればもしものときのバックアップになると思いますし、また御皇族ご一家がこられるとなればその都市は光栄この上ないのであって・・・そういう話はどこからも聞きませんが、御皇室の安全についてはどういうふうになっているんでしょう?
    「大丈夫、あんたが考えなくても、その役所の人達がちゃーんと考えているから」と国民の多くが安心していて、役所の人間は「国民から、そのような意見がまだないので、国民的議論が盛り上がってからでないと・・・」と考えよう動こうとしていないのだとしたら恐ろしいことですね。

    • argusakita より:

      『徳』が感じられないからダメなどと怖れ多いことを言うつもりはありませんが、日本国よりもまずは妻や子供の療養に果たす役割を重視したほうがいいのではと思うわけです。現代的な皇室の姿を目指すなら尚更です。
      確かにテレビのニュースなどでも?ですが、何度か近くで拝見していますし、今年の一般参賀で遠目に拝見してますます勝手な思いが強くなったので落書きさせてもらいました。
      実は、学生時代にひょんなことから何人かで歓談する機会もあり、その印象が強いのもあります。無論、殿下は記憶にはないでしょうけれど。

      宮内庁は外務省よりも採用基準が不透明で、国民の要望など聞く耳を持たない特殊な行政機関だと思います。

  2. ルリコ より:

    ありがとうございます。
    いつも拝見しておりますが、今回のお話は 胸にすこんと入り、常々 不審を感じていた事柄を含めて、 ああ私もそう思っていたのだーと得心することが出来ました。
    貴ブログを楽しみにしております。
    今年もご活躍をお祈りいたします。

    • argusakita より:

      はじめまして。

      なんとなくわかっていただけたら幸いです。
      最近は今上が左巻きだという人も多くいますが、そもそも天皇という立場は遍く民の公平、安寧を願うはずですから原則的な思想はそうなるのが当たり前なんですよね。(右とか左という概念の上に存在するわけですし)

      落書きを楽しみにするとは・・・あまり褒められたご趣味ではありませんな。(^^)

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