日本版CCRC構想は姥捨て山か ~シルバー・ゲットー構想~

sakigake20160109秋田市でCCRC(年寄り向けのケア付き共同体)に関するシンポジウムが開催されたようだ。
いよいよ国も首都圏の年寄りを地方に分散する姥捨て山またはゲットー構想を開始したのだろう。パネリストで参加したという三菱総研(MRI)は大体国策に沿った活動をするシンクタンクであり、霞が関の官僚が考えた様々な分野の施策を進める際にエバンジェリスト的な役割を担う組織と言ってよい。1980年代、MRIの会長だった牧野昇氏(故人)と同窓会で紹介され懇意にしていただいたこともあり、その牧野元会長自身がMRIの役割について冗談交じりにそう語っていた。


余談だが、当時牧野会長は『サケトロニクス』(酒造業や酒販売のイノベーション、現在でいうIT化ともいうべきか)について非常に興味深い話をされ、若輩者の筆者などは『うーん、やはりMRIはシンクタンクとしても凄い人材がそろっているな』と感服したものだ。
ただ、エバンジェリストというのは自ら善悪、正誤といったものは判断しない国の方針、施策に沿った活動が重要なのである。(三菱だから当然と言えば当然だが)

姥捨て山構想については、昨年6月4日に日本創成会議が『東京圏高齢化危機回避戦略』という首都圏の身勝手さの象徴のような構想を発表している。
この『東京圏高齢化危機回避戦略』は簡単に言えば、首都圏の年寄りを地方の過疎地に移住させ、その医療や介護の保険の財源は住所地特例で扱う、つまり年寄りにカネをくっつけて地方に移住させようとするものである。現在のままでは東京五輪の頃には都内のいたるところで下流老人の群れが散見されるようになりふさわしくないとでも言いたげな空気を感じる。(1964年の東京五輪に向けて1958年に赤線を禁止したのと同じような発想か)

地方は、財源付きで来る住民なら年寄りでも病人でもいいわけで、人口増、介護等の雇用機会増、さらにCCRCのようなハコモノ建設・整備に国庫補助なども期待できるため、地場産業も作れず企業誘致などができない能無しの地方自治体にとってはノーリスクのように見えるおいしい話に見えるはずだ、少なくとも表面的には・・・。

物事の本質的な善し悪しよりも調和、穏便な遂行を重視する日本では、現実に社会的に大きな影響のある施策を国(官僚)が進める場合、
(1)諮問会議・有識者会議にアドバルーンを揚げさせる(例:日本創成会議)
※ここで世間の反応を伺う
(2)上位エバンジェリスト達による啓蒙活動を実施(例:MRI等の官民シンクタンク)
※各地でシンポジウム等を開催し情報過疎の地方自治体等を押さえる
(3)下位エバンジェリスト達による普及活動の実施(例:マスコミや御用学者)
※軽く問題点なども指摘させ議論が起きているかのように装う
(4)国会議員達に法案の根回し
(5)法案成立と施行
こういった手順を踏む施策は『施策を確実に実行する』場合に行われる。逆にこういった手順を踏まない場合は、途中で止める可能性もある実験的な施策となる。
姥捨て山構想は、既に(2)の段階まで進んでいるということで、今後移民政策についても同様な手順が行われると筆者は予想している。

CCRCというのはアメリカ発祥のもので『継続的なケア付きリタイアメントコミュニティー』(Continuing Care Retirement Community)の略。年寄りが自立して生活できるうちに入居して、社会活動に参加し、介護が必要になった場合も医療を受けながら暮らし続ける仕組みのことである。
このCCRCを日本型にしたものが日本版CCRC構想(官邸によればそのうち独自のネーミングが決定されるらしい。まあシルバー・ゲットーだな)だが、どこが日本版なのかの違いや独自性が全く不明だ。年寄り以外の年代も受け入れるそうだが、そんな若年層・現役世代がいるはずがないことは容易に想像できる。
何とかして従来からの高齢者施設等との違いを印象付けようという必死さは理解できるが、要するに具体的には『姥捨て山に年寄りを送り込む際に財源と補助をくっ付けますよ』『とにかく首都圏の年寄りを引き取ってください』という施策に過ぎない。

年寄りが集まって地域の活性化ができるなら、超高齢社会の秋田県などはとっくに『地上の楽園』にでもなっていないとおかしいではないか。そもそも医療や介護で国が経済的に成り立つ訳が無い。
また、肉体的に衰えがあるからこそ年寄りなのであって、厳しい気候や自然環境を受け入れるわけがなく、例えこの姥捨て山構想が実現したところで、温暖な自然環境の地域に限定された話になるのは必至である。それを回避するために寒冷地割増くらいは役人は考案するだろうが・・・。

そもそも筆者にはCCRCのような共同体的生活の場というのは日本人に合わないという確信めいたものがある。

世界の地域、国家を分類する試みは多くの歴史学者、人類学者、哲学者等によって行われてきた。
和辻哲郎(故人)は1930年代から著書『風土』でモンスーン(日本も含む)、砂漠、牧場に分け、それぞれの自然環境に基づく風土と文化、思想の関連を追究し分類を試みた。非常に難解な哲学書のようにも思え、筆者は2回読んだが未だによく理解できていない気がする。(筆者の人生で最も難解な本の一つだと感じている)
サミュエル・ハンティントン(故人)は著書『文明の衝突』(1996年)で7つまたは8つの主要文明で分類した。日本文明もその1つでユニークだが、最終的には中華文明に吸収されるという件が筆者には気に入らない。しかし、現在世界で起きているイスラムを巡る大きな動きはハンティントンの予測したことに当てはまる部分も多い。
513yaCkac5L._SX355_BO1,204,203,200_筆者が世界の分類の試みで最も得心したのは、フランスのエマニュエル・トッドの著書『世界の多様性』(1983-1984の2つの著書を合体)である。
トッドは世界の分類をその『家族制度』で行い、家族型を絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、外婚制共同体家族、内婚制共同体家族、非対称共同体家族、アノミー的家族、アフリカ・システムの8種類に分け実際に統計的なデータ分析を行い分布図まで作成した。(単に比較人類学や哲学的なものではなく、科学的、統計的手法によるデータに基づくものが素晴らしい)

etodd-final1日本は、直系家族(la famille souche)に分類され、同じ分類にはドイツ、スウェーデン、オーストリア、スイスなど図の濃い緑色の地域が該当し、アジアでは朝鮮、台湾もこの分類である。またユダヤ人社会、ロマ、カナダのケベック州なども同じである。この分類の特徴は、日本とユダヤでは従妹婚が許され、他では禁止される。(日本はここでも特殊)
基本的価値は権威と不平等(!)であり、子供の教育に熱心、女性の地位は比較的高い(イスラム世界等に比較して)。秩序と安定を好み、政権交代が少ない。自民族中心主義が見られるとされている。日本では全部当てはまる。
トッドはこの家族制度が様々な社会の価値観を生み出すと主張している。

筆者は若いころからイギリス、フランス、ドイツでの生活経験から漠然とだが『家族に対する考え方』でイギリスの一部とドイツは日本と似ていると長く感じていたが、このトッドの著作でようやくなるほどと納得した。
また、仕事でも企業(特に中小零細)の経営者の考え方、特に従業員に対する考え方などが日本のそれに似たものを感じていて、おそらくそれが家族制度による影響ではないかと感じている。逆に、フランス北部やフィンランド、ポーランド、スペイン、イタリアあたりの仕事相手とはどうもしっくりこない。その理由もこの家族制度の延長ではないかとさえ感じている。

ではアメリカはどうか。トッドによればアメリカは移民の居住地域によってその伝統を引き継いでいるためイングランド系なら絶対核家族、(ケネディ一家のような)アイルランド系は日本と同じ直系家族、(マフィアのような)イタリア南部系は平等主義核家族とバラバラだ。(どんな社会事象でもアメリカという一括りで統計を取り分析することは大抵の場合無意味である)

ボウフラではないので家族無しに成長する人間はいない。つまり日本でもどこでも成長する段階でその家族制度から派生する社会的価値観、他の家族との付き合い方は身に染みているのである。
ロシアや支那のような外婚制共同体家族、トルコや西アジアのような内婚制共同体家族は大家族を形成し共同生活のようなものに順応できるが、日本のような直系家族ではそれは本質的にできないようだ。

日本の年寄りはその家族制度の伝統のため家長や嫁、姑のようなポジション意識を捨て去ることができない。また、年寄りは一般に頑迷であり、他人や血縁関係のない家族とのフランクな議論や協調は無理である。さらに現代では宗教などの共通点も希薄になり、農村部での水利権をめぐる共同体なども実体が失われている。都会では尚更のことである。
そういった家族制度とそこから醸成された価値観が個人にも社会にも染みついた日本にCCRCのような共同体的生活の場を持ち込むことは根本的な価値観に逆らう点で無理が大きすぎる(と確信する)。
日本版CCRC構想は、所詮、体のいい(財源付き)姥捨て山構想である。筆者は東京生まれで生家もあるが、このCCRC構想は間違いだと感じる。大勢の下流老人を抱えたまま東京は沈んでも仕方がないと感じている。彼らが今の東京を作ったのだから。地方はこれに猛反対していけば、若年層が首都圏を忌避して地方に逆流するはずだ。未来はどちらにあるだろうか?

PS. 実はこの直系家族に分類される地域・国はマルクス主義・共産主義との親和性が低いことも指摘されている。日本でまともな共産主義が主流になり得ないのはやはりこの家族制度によるものかもしれない。(諦めろ、共産党! (^^))

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日本版CCRC構想は姥捨て山か ~シルバー・ゲットー構想~ への2件のフィードバック

  1. ブルーベリー より:

    人手不足は地方ほど深刻なのに、高齢者を地方へ移住なんて非現実的です。
    ましてや、閉鎖的な秋田県なんて、皆が嫌がります。

    東京都ですら、2020年以降は人口が減り始めます。
    一極集中というより、日本中で労働人口が激減しているのです。

    高齢者を海外に送るか、移民を受け入れの方が現実的でしょう。

    • argusakita より:

      その『人手不足』ですが、最近はホントかなぁ・・・と思うことが多いのです。
      製造業、建設業、介護といった労働集約的なものがまだまだ必要という認識の上にそれらは当たり前のように言われるのですが、実は無理矢理作っている需要に対して供給が少ないと騒いでいるだけなのではないでしょうか。
      高度成長期のような製造業、モノ作りによる経済成長という枠組みから抜け出さないと発展は無いのではないでしょうか。
      もう少しだけ、広義のソフトウェアに産業がシフトしていけば実は人手不足ではないかも・・・と思ったりします。

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