老化は必然だが老醜は避けたいものだ

モスクワからウィーンに戻り、体調が悪いなと感じたが滅多に風邪をひかないため、あ、ヤバいと思ったときは時既に遅しで発熱と関節痛。どこで拾ったかしらないがインフルエンザだなと自己診断。手持ちのタミフルとクラリスを飲んだものの3日ほど寝込んでしまった。
もうちょっと早く飲み始めれば効いたかもしれないが、タイミングを逸してしまった。
まあ、これも老化なのだと諦めたが、だんだん自分の体も管理しにくくなってきたことは確かだ。
コントロールできなくなったらさっさと逝きたいもので、老醜を曝け出し、家族あるいは他人にメシの世話だのシモの世話だのされたらそれこそ死んだほうが良いと思う筆者としては、そろそろいわゆる終活でも始めるかと・・・。(^^)
人間は死亡率100%なのだと達観しているため、死ぬことは何の怖さも無いが、死の準備ができていないことは少々恐怖を感じるものだ。


考えてみると老化というのはいつから意識するようになっただろうか。
筆者の場合は20歳前後から白髪が結構目立ち、大学の階段教室では後ろの奴から『お前白髪あるなぁ』とよくいじられていたせいか白髪や”前線後退”はあまり意識したことが無いし、ハゲではないが元々髪は短めのため髪の毛にはさほど未練はない。(病気や薬の副作用は除いて)男でズラを被る奴の心理は全く理解不能である。
最初に、あれ?老化か?と気づいたのは、40代後半くらいだったか髭剃りをしているときだった。筆者は電気式と伝統的な泡と”シック”の両刀使いなのだが、シックで髭剃りをしたときにいつもの調子で何気なく剃っていた時に傷を付けてしまった。
おそらく、顔の筋肉というか表皮のコラーゲンが無くなり、いつもの慣れた角度では追従できないために傷つけたのだろうと。以来、電気シェーバーを使うことが多くなった。

同級生などと集まるとだんだん『年寄り自慢』が盛んになってきた。早い奴はもう孫もいるというから隔世の感があるが、互いに酒量が減ったとか肝臓が弱くなった(二日酔いが酷い)とかはまだしも、シモのほうがパッキンの古くなった蛇口みたいだとか、自分で加齢臭に気付いたとか、笑いながら泣けそうな話が次々に出てくるのが何とも痛々しい(^^)。
それぞれの女房の話になるとまたまた悲惨で、『**のカミさんは大学の頃、映画の私スキみたいに白いウェアでカッコ良かったよな』『**のカミさんは六本木のスクエアのファーマーズマーケット(ディスコ)で目立ってたぜ』などとバブルより少し前の風俗を思い出させる話に火が着く。『**のカミさんはEカップだったよな』と旦那以外の奴が言い出して、おそらく墓場まで持っていく話もありそうだ。確かに、確かに・・・。
そういうカミさんたちもおそらく同じように爺達の青春時代を笑いのネタにしているだろう。

日本に帰った時にたまにドラマなどを見ると松坂慶子や竹下景子などが未だに出ているが全盛期のイメージが強いため、デジタル放送特有の顔のシワやメイクの無理加減などが見えたり体形が残念な感じになっているとアナログ放送(あるいは低解像度)にしてやればいいのにと同情してしまう。役者もなかなか大変ものだと痛感するではないか。中にはいい感じで歳を取っている役者もいる。
しかし、岩下志麻や吉永小百合などを見るとサイボーグではないかと思うくらい変化が少なく、逆に少々気持ち悪さも感じる。

老化は当たり前なのであって隠す必要もないのだが、やはり老化というのは美醜で言えば醜いのである。(そりゃあ、100人に1人くらいはカッコよく年取った奴もいるが)
人間は外見ではないとは言うものの、例えば伊藤忠の元会長の丹羽宇一郎などは言動の醜さも酷いが、あの皮膚がんだらけのような顔で人前に立てる神経がどうにも理解できない。やはり外見、特に顔や表情はその人間の人生を反映しているものであって、黙っていても多くの人間の不快感を誘うようになったら少なくとも生物としての引き際を自覚すべきだろうと筆者などは思う。

アメリカ大統領選でも民主党のサンダースがまだ有力候補だが、あのヨボヨボの歩く姿、表情にアメリカ国民は希望や可能性を感じるだろうか。演説台で元気よく演説するときは確かに元気なお爺ちゃんだが、胸から上と手ぶりだけでは大統領は務まらないだろう。
民主社会主義という主張そのものはある意味理解できるイデオロギーだが、スペインのポデモスのイグレシアスに可能性を感じてもサンダースに可能性を感じるのはどうにも違和感がある。例えば、G7にサンダースが出席し各国首脳と談笑する絵は想像できない。
ついでに、日本の首相がG7に出て絵になることを考えた場合、例えば石破などはあり得ない気がするではないか。あの目つき、表情はメディアでは絶対に損だ。

中身も外見も(いろいろな意味で)カッコ良く歳を取りたいものだし、自分の肉体が精神・思考について来ていない、あるいは老醜を曝け出していると自覚した場合はさっさと身を引く覚悟が必要だ。
長生き、長寿などは本人や家族のためにも社会のためにも何も良いことがない。
長寿社会といえば聞こえはいいが、介護士が年寄りをベランダから放り投げて殺害したように高齢化社会による社会の歪は様々な面で顕在化しているのだろう。

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