フランスの現状は近未来の日本か

日本に帰ってくるたびに、日本の平和さというか社会的問題の顕在化の少なさに驚いている。そんなに日本は相対的に理想的で安寧な社会なのか・・・。
パリのアンヌ・イダルゴ市長が先週日本にやってきてテロ事件後の日本人観光客が2割ほど落ち込んだことで、パリは安全だとアピールしたそうだ。
しかし、オランドが昨年11月のパリ同時多発テロ後、発令した非常事態宣言は5月末まで延長が決定され、シャルル・ドゴール空港などは厳戒体制だったことを考えると、パリ市長がPRにやってきても旅行代理店は日本人にパリ観光は薦め難いだろう。
テロに巻き込まれることへの懸念もそうだが、ここしばらくのフランス、特にオランド就任以降は何しろパリを始め各地でデモが多発している。
デモの主なものは農民特に酪農家達のデモ都市部での労働改革法(El Khomri法)を巡る労働者+学生達のデモであるが、昨日もパリでは10万人規模のデモがあったようだ。(日本のメディアはほとんどスルーのようだ)

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農民のデモは昨年夏ごろから頻繁に行われていて、牛豚肉、牛乳の価格低下やそれに輪をかけて主要なロシアへの輸出がロシア側の輸入禁止(クリミア問題の経済制裁の対抗措置)によって減少し価格が下落したことによる。
フランスはよく農業大国と言われるが、フランス経済に占める農業のシェアは戦後21%からわずか2%程度までに低下していて、決して農業大国とも言えないのが現状。しかし、農業が国家の基本的なアイデンティティであるというフランスの伝統的な考えもあり、一般国民の農業への絶大な支持もあるため、農家は写真のように大々的なデモを行い、政府も税金支払いの繰り延べや社会保障手数料の減額、土地税の引き下げや農民の債務負担の一部を肩代わりするほか、国営の公共投資銀行(BPI)が5億ユーロの融資保証を付けたりした。それでも足りないとさらにデモが繰り返されている。まさに革命の国であり、農民の強い国である。
そのデモも半端ではない。各地の幹線道路に農機具を放置したりタイヤに火をつけたりトラクター1,000台以上で行進したり、牛や豚を街の中に解き放ったり、道路にたい肥や藁を積み上げたり・・・。
かつて秋田(だったかな?)の農民も東京の銀座でトラクターによる『嫁来い』デモをやったことがあったように記憶しているが、フランスのはそんな生易しいものではなく、一歩間違えれば警察と大規模に衝突しそうなものである。

El Khomri一方、昨日のパリの労働者+学生達の大規模なデモは、労働大臣El Khomri(写真)労働改革法を巡っての反対運動だ。
フランスというのは労働者の雇用(賃金、地位)について非常に厳格な決まりがあり、一度雇用すると簡単には解雇できず、裁判所を経由した非常に時間と手間のかかる手続きが必要である。そのせいもあって、フランスで企業を興そうなどとは筆者などは絶対に考えない。小さな企業、特に創業間もない頃は雇用というのは現実的に大きな『コスト』だからである。ある程度の業績を積み重ねてからも雇用をコストと考えるのは経営者としてはどうだろうか。
今回のEl Khomri法の主な内容は、
・解雇を比較的容易に行えるようにすること
・法定労働時間(週35時間)を超えて働くことができる(働かせることができる)。ただし、その場合、労働者と雇用者が直接協議できる。
というもので、これらによって労働市場の流動性を高め、欧州始め他国との競争が可能になり、結果的に失業率を低下させ、やがては賃金上昇になるというものだが、当然労働者と近い将来労働者となる学生たちは猛反発している。

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何故なら、解雇が容易になれば生活の不安が増大し、賃金の低下につながる。さらに、既存の労働組合の賃金に関わる交渉や闘争権が侵害されるからである。
このEl Khomri法を歓迎するのは無論大企業を中心にした勢力である。何故なら、他国との競争に勝つためには賃金というコスト低減が必要で、目の前に移民・難民といった低廉な労働力があるにも拘わらず、法で守られた高賃金で就業時間も硬直化したフランス人を雇い続けなければいけないのは利潤追求が使命の企業にとっては不利だからという理由だ。

日本政府も移民受け入れの検討を始めたと何かのメディアで読んだように思うが、移民を受け入れる前に、金銭による解雇『解決金制度』を政府の規制改革会議で検討していることが以前から言われている。
労働時間については既に派遣法の改正でその足掛かりは掴んでいるため、次第にあらゆる産業、業界に広がっていくだろうことは明白である。
正規だ非正規だなどという議論を懐かしく感じる日がそう遠くない将来の日本だろう。

フランスのデモは近未来の日本でも起きる(本当は起きている)問題と全く同じものである。しかし、日本ではデモに対する取り締まりがガチガチで、フランスのような事態はなかなか想像しにくい。
日本で学生運動が盛んだったころ、当然フランスでも同様な学生運動はあり、デモによる何人かの犠牲が象徴となりさらに過激化した。日本でもある学生の死をきっかけに暴動が勢いを増したことは皆記憶にあることだろう。
政府や体制を守る警察組織(国民を守る組織ではない)はその事件を教訓にデモを非常に危惧しているはずだ。
馬鹿学生達の集まりSEALDsなどは、ただ単に安保法制に関する政権批判と護憲のようなものしか主張しないため一般国民はおろか同様の境遇の学生達の支持すら広範囲に得ているとは言えない。
しかし、国会前にある程度の人数が集まる時のあの警察の異常なまでの封じ込め作戦は他国から見たら常軌を逸している。機動隊のバスで囲みバリケードを築き、道交法や迷惑条例や公務執行妨害といったほとんどオールマイティな法的根拠に基づいてデモを封じる手法は流血の衝突は無いにしても『言論の自由が保証された自由な国家』のイメージからは程遠い。ガス抜きさせないのは逆にヤバいという判断が日本政府にはあまり無さそうだ。

SEALDsといった馬鹿学生達や年寄り腐れ左翼ではなく、旧帝あたりの学生達が現代経済や流動化している世界の政治に立脚してまともな主張を持ってデモを行うなら、もう少し広範囲な支持を得られそうな気がするが、学生達の上位層はいずれは体制側に取り込まれる予備軍であるため、ある意味既得権を捨てて青臭いことを主張するのは愚行だと見ているのかもしれない。下位層の学生達が声を挙げて太鼓を叩いてもパワーにはならない。
エスタブリッシュメントの子息達だけが東大に行けるといった現状は非常に拙い。
貧困による格差やその世代を超えての伝播は確かに問題だが、実は正確に言えば勝ち組とされる連中の世代を超えての伝播のほうが数が少ない分非常に大きな問題なのである。それが、いずれは1%が99%を支配する構造を生み出すからである。

本来、キレっぷりの凄さで有名な日本や日本人が大人しくするのを止めて、フランスのようになることは近い将来あり得るだろうか・・・。

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フランスの現状は近未来の日本か への2件のフィードバック

  1. ブルーベリー より:

    http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html
    たった4年で 「読書しない大学生」 が10.7%も増えて45.2%になりました。
    あと2・3年で50%を超える勢いで、読書が出来ない学士様が多数派になります。

    今の学生は平均2.5時間以上もスマホでゲームをやってる訳で、
    SEALsなどのユトリ世代が 「無知・無能・恥知らず」 なのは当然なんです。
    ユトリ世代には 「もっと本を読もうぜ!」 という運動を期待したいです。

    「若年人口急減+急速な人材レベル低下」 はあまりに深刻で、
    移民しか解決策がないけど、日本人には受け入れ難いでしょうね。
    せめて人材レベルの低下をなんとかしないと・・・・

    • argusakita より:

      linkの大学生協のアンケート、なかなか興味深いですね。
      しかし、読書時間が減っているのは、ゆとり世代や学生一般に限らず、ひょっとすると全世代共通かもしれません。
      私もオフィスに読むつもりで買っても時間が作れず『積ん読』の書籍や資料がここ10年で非常に増えたように思います。
      50年も生きていると専門外は別として、目から鱗のような新しい知見を本から得るなんてことはそうそう無いですし、老眼が進んだせいもあって本はだんだん遠くなっていきますね。
      ただ、読書というのはその本のタイトルを題材に自分で考える時間を作ることと考えていて、それが最も重要だと私は思っています。

      学生はLINEだのTwitterだのFBだのSkypeだので時間を相互に潰し合っていますからね。
      短文でも短歌や俳句のような『削ぎ落として濃くしたもの』ではなく、中身の無い浅薄な書き言葉によるコミュニーションが良いと思っているらしいですから。行間を読むなんて日本語は死語でしょうね。
      時間や場所を超えて『大勢と繋がっている』という感覚が重要と考える価値観が私の世代などには無かったのでサッパリ理解できません。そんなものは現実の自分(の時間や生活)をスポイルするし、幻想に近いモノとしか思えないのは歳のせいでしょう。(^^)

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