『日本死ね』と書いた親に育てられる子供は不幸

話題の『日本死ね』のブログの全文を読んでみた。
保育園に落ちたことは気の毒で同情はするが、だからといって『日本死ね』は無いなというのが感想だ。せめて『現政権は役立たず!』くらいだろう(^^)。


時の政権・政府を批判することは少なくとも日本では自由の範囲内だろうし、いつの時代もそれはあっただろうと思うが、自分が生きている日本という国や自身が組み込まれて自分も様々な恩恵を受けてきた、さらに受けているいる国に対して『死ね』というのはいわゆる民度の劣悪さを端的に表しているとしか思えない。
安倍政権の様々な政策・施策に対しては筆者も納得できないことが多い反面、従来の政権では成し得なかったことも確かにいくつもある。そこを冷静に判断すべきだろう。
愛国心といった大げさなものを持ち出さずとも、国、国家に対するリスペクトが皆無な人間は国家よりも個人優先の見事なまでの完全な左翼である。リスペクトが少しでもあったら、『日本死ね』は無い。そんな親を持つ子供は不幸だ。
パスポートの有難みを常に感じている筆者としてはこういう非日本人こそ『いなくなればいい』である。

そもそも保育園は国ではなく一義的には地方自治体の分掌であり、毒づくならまずはそっちが先で、国全体でみたら待機児童が多いのは首都圏や大都市周辺と沖縄県くらいで、その他の自治体では無論重要ではあるものの突出した喫緊の課題ではないはずだ。
それをあたかも日本全体の喫緊の問題であるかのようなプロパガンダはいただけない。
中央政府は関連立法と予算措置を行い、サービスの具体的なものを行うのは各自治体、しかも自治体が保育園をなかなか設置できないことや株式会社が参入できないのは自治体とある意味密接な社会福祉法人が横槍を入れていることによるのは周知の事実だ(横槍の理由は保育園乱立では子供の奪い合いになるという主張)。
そんなことが頭にあれば、『日本死ね』はあり得ないピンボケである。
子供を産む前に社会の仕組みや実態を少しは知っておくべきだったのではないか?

また、『死ね』という感情的な文言の善し悪しは別としても、そういったものを利用して大衆の感情論に訴え、煽る、それに煽られた集団が揃いのプラカードを持って即座に集まる。なんと共産党的というか民主党的というか・・・。
『保育園落ちたの私だ』は、おそらく昨年1月のシャルリー・エブド襲撃事件以後の『私はシャルリ』にヒントを得たものだろうが、その『私はシャルリ』も、1963年6月冷戦の真っただ中で共産主義国に囲まれた西ベルリンにおいて、JF・ケネディ大統領が行った『ベルリン演説』の一節、
“Two thousand years ago, the proudest boast was ‘civis Romanus sum.’ Today, in the world of freedom, the proudest boast is “Ich bin ein Berliner.”
(2000年前、ローマ市民であることが最高の栄誉でした。しかし今日、この自由な世界において、「私はベルリン市民である」ということが最高の栄誉であるように思えます)
から引っ張ってきたものだろう。
筆者はケネディはあまり好きになれない政治家だが、この一節は非常に崇高な文言だろうと感じる。その字ヅラを持ってきて、『保育園落ちたの私だ』を発明したのなら、なんとユーモアの無い下品なことだろうか。(もしかしたら、もっと別のものの引用かもしれないが・・・)

しかし、この『日本死ね』のブログとそれを煽りの材料に使った民主党とマスコミの一部に狼狽えた安倍政権もどうかと。
関連立法、予算措置の経過・結果を説明し、国と自治体との分掌の違いを淡々と答えれば良かったものを感情論に乗せられてシドロモドロでは脇が甘いという感は否めない。

それにしても、筆者も相方とともに3人子供を育てた経験から言うと子育てがリスキーで大変なことは間違いないものの、今思えば3人を大人になるまで育てる確固たる計画や予定(当然経済的なものも含めて)など無かったに等しい。強いて言えば生命保険(本人・妻型から本人・妻子型に変更)くらいのものだが、それとて万が一の場合3人を大学まで行かせるには十分とは言えなかったに違いない。
しかし、何とかやってこれたのは家族が利益共同体ではなく運命共同体だと思い、それを子供達にも機会あるごとに話していたせいもあるかもしれない。(万が一を考えての言い訳かもしれないが)
何事も予定通りなどあり得ない。筆者など、いつ飛行機が墜落したりテロに巻き込まれるかもわからないのだから、生き残った家族が経済的に行き詰ったら、それはそれ。自分たちで何とかしてもらわないといけないと常々言ってきた。どんな対象であろうと100%の責任など持ちようが無い。

保育園がある。万人がその仕組みを使う権利もあるだろう、しかし抽選や何かで落ちることもある。どこまでを既得権のように考えるかは人それぞれだろうが、保育園を使う生活の仕方しか思いつかないなら(知らないなら)あまりに稚拙な親である。(まあ、親も最初の子供と同じ日に生まれ、ゼロ歳から始めるのだが)
天涯孤独で短期間でも頼れる親兄弟・親戚もいないし周囲に友人も知人もゼロ。そんな人間が子供を持つこと自体非常に考えにくいが、『日本死ね』のブログの主はどうなのだろう。
人に迷惑をかけずに社会の仕組みを活用して子供は自分の手だけで・・・という発想は正しいかもしれないが、現実には不可能である。周囲に何らかの迷惑をかけながら育つのが子供である。他人の子供から迷惑を被ることだってある。親の思惑などそっちのけ、それが現実だろう。
このブログの主の不幸は、子育てのアドバイスや様々なオプションを提示してくれる子育て経験のある人間が周囲にいなかったことかもしれない。

国や自治体の仕組みをあれこれ利用するのは当然の権利かもしれないが、それが果たして当たり前かどうか、もっと自立(律)した意識を持てばそれらに頼る気持ちは薄らぐのではないか。年金や介護に当たり前のように集る年寄り達も同じだ。何でもかんでも国や自治体に頼るなよ・・・。
くだらない政治屋達のエサ代にもなる税金を払うのは癪なこともあるが、その税金を使った行政サービス・福祉サービスを当たり前としてとことん使うかどうかはその人間の自尊心にもよるはずだ。

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カテゴリー: 社会・経済, 国政・国会, 教育・学校 タグ: , , , , , , , , , , パーマリンク

『日本死ね』と書いた親に育てられる子供は不幸 への16件のフィードバック

  1. ブルーベリー より:

    本人は、「感情の赴くままに数分で書き上げて、大勢の人に見られる事を意識していなかった」と言ってるけど、余りに愚かで幼稚ですね。 それをマトモに取り上げる国会もまた幼稚です。

    保育園に入れない問題は、ずーっと昔からあってみんな苦労してるんですけど・・・・・
    ユトリ世代が親になると、こういう事が多発するのでしょう。

  2. ばんそうこう より:

    SEALDsと似たような臭いがプンプンするなと思ってSEALDsのFacebook覗いたら案の定、3月6日の時点で長文の書き込みがありました。たかが出処不明の愚痴もどきに、この反応はおかしいですよね。いろいろ回ったら、こんな写真拾いました。

    • ばんそうこう より:

      補足。「戦争反対、お前がやめろ」という言い方と「保育園落ちた、日本死ね」「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」という言い方は言葉の使い方・配置がすごく似ていますよね(最初のフレーズを叫びながら、本当に言いたいのは2番目のフレーズ。そして、そこに飛躍があるというあたりが)。吉良佳子が出張ってくるあたりなんかはソックリ。それで上の写真ですからね。。。こりゃヤラセでしょう。

  3. 壊れつつある日本を憂う者 より:

    はじめまして。いつも欠かさず拝見しています。
    『筆者』というblog主さんは一体どういう方なのだろうと非常に興味が湧きます。

    今般の”日本死ね”は本当に馬鹿親を炙り出したように思います。
    汚い文言ではなく中身を議論しろという意見もあるそうですが、そもそも”死ね”などという呪詛を吐く輩には福祉といった中身の議論以前の話がありそうです。

    それにしても保育園だの幼稚園は義務教育ではないのですからいろいろな選択肢があるはずで、何でも国や社会システムに依存する態度ありきでは子育ての先が思いやられ、blog主さんの言われるように育つ子供が不憫です。

    最近は親が子を殺したり、子が親を殺したり、友人を殺したり、先生が生徒を自殺に追い込んだり、挙句の果ては介護をしている人間がお年寄りを放り投げて殺すといったことが珍しくなくなり世の中が麻痺してきたのではないかとさえ思われます。
    日本が壊れてきているのではないでしょうか。

    • argusakita より:

      こんにちは。
      まあまあ、私のことはお気になさらず・・・。
      と言いながら落書きもWordPress移設前の2010年末から1,093件にもなって自分でも驚いていますが。

      最近、日本が壊れて来た。確かにそんな印象を受けることもありますね。
      日本は他国と比べてもガチガチな管理社会的な空気が強く、法律・条令以外に社会の中にルール、モラル、マナー、掟のようなアンドキュメントなものが根付いていて、それが日本人の均質性と相互(監視)抑止力や『和』を維持しているとも言えますが、それらが通じないサイバー空間(ネット社会)が国境を越えて広がって来たためか、それらが通じないものが現実社会にフィードバックされて壊れてきているのだろうと思います。
      壊れてきていると感じるのは、細かすぎる法律・条令、社会システムなどが制度疲労しているというのもあるかもしれませんね。

      蛇足ですが、こういった状況は個人(優先)主張主義者にとっては非常に好都合で、馬鹿左翼がそれを都合よく利用して『日本破壊』を仕掛けていると感じます。
      そういった真性馬鹿左翼は基本的にまとまることを好まず、バラバラであることが身上ですから、民主・維新の合流や共産との協調などうまくいくわけがないと(^^)。

      個人的には近未来の日本にとっての(馬鹿じゃない)まともな左翼というのにも期待はあるのですが、どうも日本ではムーブメントになるような核が不在という印象です。

      • ばんそうこう より:

        「日本が壊れつつある」というのはだいぶ前からしています。それこそ地下鉄サリン事件のころから。70-80年代にはほとんど考えられなかったことが今や毎週、毎日起こっている感じ。すっかり不感症になってしまいました。ゆとり教育の影響やSNSの影響も当然あるのでしょうが、そういうものだけではないような気がします。argusさんおっしゃるように、社会的視点を失った自分主義が個々人に深く根を下ろしているように思います。老人たちも、自分が子どもだった時代の爺さん・婆さんだったら絶対やらないような事件を引き起こしています。家族・地域社会・職場の絆のようなもの、衝突や対立があっても折り合いをつけながらうまくやりすごす知恵や技術のようなものが失われつつあるのに、ひきこもるためのツールや場だけは異様に肥大化しています。状況が状況なら自分自身も当事者になりかねません。

        argusさんの「蛇足」以下の部分に強く共感します。日本の場合、左翼が冷戦終結の意味、一世を風靡したマルクス主義の限界をきちんと哲学的・思想的に総括していないことも大きいと思います。フランスでは左翼の方が徴兵制支持ということのようですが、確かにその方が一本筋が通っています。反米・反グローバリズムを標ぼうする左翼は、格差是正とそのための増税、増税の原資を確保するための経済成長戦略、それを内外の敵から守るための防衛力強化を一貫して主張すべきだろうと思います、本来は。実はそれは第二次安倍内閣が曲りなりにもやろうとしていることで、だから左翼の安倍批判はピント外れのブーメランになってしまっているのではないかと思います。そのあたり、有権者はちゃんとみていると思います。

  4. ブルーベリー より:

    陰山英男氏が指摘する 「ユトリ世代」 3つの特徴
    http://miyaneta.exblog.jp/8418732/

    ① 周囲の人や社会に対する批判が多く、問題を人や社会のせいにする。
    ② 「物事はうまくいって当たり前」 と考えるため、少しでも上手くいかないと自信を失う。
    ③ 「ダメな状況を一気に解決する夢のような方法がどこかにある」 と信じている。

    「日本死ね」プログを書いた人物は、30代前半の女性で 「ユトリ世代」 です。
    そしてそのブログは 「ユトリ世代」 の共感を呼び、国会を振り回しています。
     「SEALs」 もそうですけど、不平不満だけを叫んで、議論が出来ない。
    幼稚にダダを捏ねてれば、誰かが助けてくれる、と思っているのでしょう。

    • ばんそうこう より:

      「共感」する要素はまったくないですけれどね。そんなに働きたいなら親か親類に預けろとしか思えないです。選挙権年齢の引き下げにともない、停滞いちじるしい既存左翼が子どもや学生をダシに使って体制批判に若年層を引き込もうという作戦ではないかというふうにしかみえません。これに関しては、「一億総○○」のようなスローガンを出してしまった政権側もよくないかもしれませんね。歴史をみれば、こういうスローガンは発した意図と離れて一人歩きしやすいものです。「日本を取り戻す」だけで充分だったのに。

  5. ゆとりっち より:

    初めてコメントします。
    ゆとり世代というのは生まれた年から言えば、1987年4月から2004年3月生まれというのが一般的な定義だそうですから私もそうかなと思います。ただ、諸説あるそうで、池上彰氏などは40代前半くらいまでその仲間みたいなこと言っていますね。

    ゆとり世代を代表して言うわけではありませんが、今の日本の社会でゆとり世代は確かに問題を抱えているとは思いますが、それは少し将来現実になるのであって、今まさに問題・課題になっているのは年寄り世代でしょう。
    社会福祉も若年層ではなく老人層に大きな配分がされ、生産しないし消費もしない、何となく資産を抱えて使い道がなさそうな老人層と下流老人が日本の社会や経済を圧迫しているのが現実でしょう。少なくともゆとり世代は経済的なお荷物ではないはず。

    アクセルとブレーキを間違えたり高速を逆行するようなボケ老人達が珍しくなくなっているのは現実の社会的な脅威です。
    買い物の足が無いから仕方なく運転しているのだと開き直る年寄りがよくTVに出てきますが、街の中の安全よりも自分の生活が優先という考え方はそれこそ自己中と突っ込まれても仕方がないと思います。(アンタの生活よりも社会全体の安全のほうが遥かに重要だろうと。一体いくつまで生きるつもりなんだよ?)

    陰山英男氏はゆとり世代を、
    ① 周囲の人や社会に対する批判が多く、問題を人や社会のせいにする。
    ② 「物事はうまくいって当たり前」 と考えるため、少しでも上手くいかないと自信を失う。
    ③ 「ダメな状況を一気に解決する夢のような方法がどこかにある」 と信じている。
    と言っているそうですが、老人世代は、
    ①周囲や社会に対して声高に批判はしないものの、自分の問題を自分で解決した結果の社会への影響を考えない(だから、ボケ老人が平気で暴走運転する)
    ②③物事はうまくいくかどうかわからないし、解決法も夢のようなものだから、改革などといった冒険はしないでとにかく現状維持を第一とする
    といった特徴があるのではないかと思えます。

    ゆとり世代とボケ老人世代、どっちが数が多いかと言うと後者なわけで、日本が衰退、後退していくのは自然なことでしょう。
    日本が壊れていくというよりも自然体に変わりつつあると思いますが….。

    あと、SEALsじゃなくSEALDsですね。

    • ばんそうこう より:

      世代論でバッサリ切ってしまう言い方だと、おっしゃるような反発が生じるのも無理ありませんね。「自分たちの世代は大丈夫だけどゆとり世代が…」という言い方は、結局、人や社会のせいにしていることですから。

      おっしゃるように、日本では福祉の重点が老人に偏りすぎています。こんなに親に教育費を使わせる国はないと思います。大学無料で寄宿舎完備なら、教育機関・研究機関が東京に集中していようが何の文句もありません。そこは確かに不満ではあります。ただ、「ボケ老人世代」というのも言い過ぎでしょう。ある意味、その言辞で象徴される世代間の断絶が一番深刻で「壊れ」のモトかもしれません。

      特効薬はないわけですが、三世代家族はもっと見直されてよいと思います。私は子どもたちを保育園には入れませんでしたし、自分自身も行ってません。三世代家族が当たり前になれば、保育費用も介護費用も社会的に節約されるうえに世代間断絶も緩和されるのではないかと思います。町内会・部落会のような、行政機関がタッチしない地域の自治的組織も見直されるべきだと思います。

      私の住む県南地区では、仏教寺院や教会が保育園を経営しているケースが多いです。これは法人にとっては収入源になり、子どもにとっては情操の面でよい面もあり、「騒音」問題が生じにくいというメリットがあります。首都圏でもキッチリ宗教法人から法人税をとって、保育園を経営する寺や教会には税制上優遇措置を講じる(場合によっては補助金を出す)、あるいは学校法人で保育園・保育学科を併設しない大学は設置を認可しない、あるいは設置と引き換えに助成金を出すなどの施策がとれれば、待機児童の問題はだいぶ解消されると思います。これは公明党あたりが猛烈に反対するでしょうから、与党から公明党をはずす必要があります。

      日本が老人に手厚いのは、若い人が選挙に行かないせいもあります。まずは投票所に足を運びましょう。

      • ブルーベリー より:

        国政選挙における年代別投票率
        http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

        投票に行っても、老人ばかりで、ユトリ世代は見当たりません。
        この数年で20・30代の投票率は急減しています。

        老害批判は激しくするけど、ユトリ問題の指摘は許さない。
        なにかと言うと 「老害が悪い。社会が悪い」 
        でも、投票には来ないんですからタチが悪い。

        暇さえあれば、スマホでゲームしているので忙しんでしょうね。

    • hoco より:

      ゆとりっちさんこんにちは。
      私は30代前半のゆとり世代に片足突っ込んでる者です。

      ゆとりっちさんの言いたい事はとってもよく分かるのですが、「ボケ老人」という表現はケンカになっちゃいますよ。
      確かに今のお年寄りにはイラッとする時はありますが、戦後の高度経済成長を支えたのは、間違いなく彼らです。 
      今の若者は苦労しているかもしれませんが、今のお年寄りが若者の頃は、また違った苦労をしていたはずです。

      社会が悪いと愚痴っていても、環境が良くなったりはしません。今の社会とシッカリ向き合って、自分はどうすべきか、何ができるかを考えたほうが健全だと思います。 

      • ゆとりっち より:

        そうですか?
        私の周囲じゃ年寄りも含めてボケ老人や少しボケ気味なマダラボケなんて普通に使っています。昔からある言葉で悪意は無いでしょうし、いつかは誰でもボケるわけですし。

        世代間の戦いみたいな状況はこれからますます酷くなっていくと思います。
        何となく物わかりのよさそうな社会の態度が、ボケ老人世代や我々ゆとり世代(さとり世代とも言われるらしいですが)を生み出しているような気がします。
        私はそういうのやめようと思っています。

  6. うさぎ より:

    あまり世代論の話をすると、記事の内容からずれてしまいますが、ベルリンの壁崩壊前後に生まれて、新氷河期と言われながら就活した1989年あたりが、社会構造に批判的だったりするのは不自然じゃないと思いますね。
    世代間格差や社会的な不況を聞かされて育ってるわけだし、無欲だったり希望的観測を持つのは自然な帰結でしょ。

    ネットの普及で、公的な暗黙の了解が崩れかかったり、野党やメディアに力がないからこんな事になるのでしょう。
    野党が解雇規制の緩和や世代間格差の是正を主張すべきところを、労働組合などが支持基盤であることから、自民党が音頭をとる。
    自衛権しか主張できない野党に期待はできず、メディアはまともなニュースを報道しない。
    そのため、感情てきな反応になり取り上げられる。
    政権交代という流動的なイベントが起きても、結果は散々でしたし。

    坂口安吾じゃありませんが、一度徹底的に崩壊して、あらゆる矛盾点を炙り出した方がいいのかもしれませんね。

  7. カメラマンより より:

     このような攻撃的で自虐的で茶化した投稿を野党が取り上げて、国会に問題提起をする自体馬鹿げていると思う。決して子供たちに自慢出来る投稿ではありませんよね。匿名だから、どんな下品な投稿でも出来るという安心感もあったでしょう。本心かも知れないが良識のある人の投稿だと思えません。
     戦争法案反対・辺野古移設反対でも肯定的な問題として何度も取り上げる報道にも問題があると思う。自治体や国の対策にも問題があることもあるだろうが、ある程度自己責任の下で子育てしてほしいものです。このような投稿がこれから先蔓延し国会で取り上げられ、そのたびに国会前で賛同した者たちがプラカードを持ち叫ぶ姿が出てくると思うと日本の将来に一抹の不安を感じます。

  8. hoco より:

    私も「日本死ね」のブログ全文読んでみました。twitterも読みました。
    下品な言葉遣いで、なんでこれが有名になったのかホント不思議です。
    まったく共感する気持ちが起きません。

    「保育園に入れたければ、秋田に是非いらっしゃい!」と言ってやりたいです。
    でも、きっと、このブログを書いた人は、田舎暮らしはきっと望んでないんでしょうね。
    都会暮らし故のデメリット1つに気づいただけで、「日本死ね」とか頭悪すぎます。

    この頭悪すぎるブログに賛同した「保育園落ちたの私だ」という集団が現れましたが、
    「そういう事してるから保育園に入れないんだろう。就職、求職活動しなさいよ」と言ってやりたいです。

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