早期英語教育のメリット

やはり、夜のモスクワはまだ寒い。知り合いのタクシーのおっちゃんを空港に呼んでおいたので移動は楽だったが、市内までの途中で経験したことのない検問。テロ対策なのだろうが、昔と違ってロシアの警察もだいぶ行儀が良くなった印象だ。ソチオリンピック以降は特別に偉そうな態度の警官は少なくなったように感じる。モスクワはソ連時代も含めてもう30回程来ているが、昔は、ルーブルを持っていないと道端の両替屋までついてきて賄賂を要求されたりしたが今はそんなことは無いだろう(と期待する)。
以下、成田からの機内にて。

先般、文科省から『英語教育実施状況調査』の結果が発表され、“中3生で英検3級以上相当の生徒”だの”高3生で英検準2級以上相当の生徒”の割合といったよくわからない順位が公表され、秋田県は上位にランクされたようだ。
この”中3生で英検3級以上相当の生徒”だの”高3生で英検準2級以上相当の生徒”の割合というのは、どうやら各都道府県の申告に基づくもので、英語担当教員の評価に依存しているため、あまり客観的なものではなさそうだ。今後、文科省は統一基準を作るようだが、それもまた意味があるのかどうか・・・。

秋田県では殿様が県の子供達の英語力が日本一になることを目指すとかで教育委員会主催でイングリッシュキャンプやスーパーイングリッシュキャンプなどのイベントが有料(タダにしろ、タダに!(^^))で行われているようだが、会話に関して言えば要するに英語に触れる時間が長ければ確実に効果があることは間違いないわけで、どんどんやったらいいとは思うが、英語を使って仕事をする機会などは秋田ではほぼ皆無だろうから、ある程度身に付けた若者はまたまた県外あるいは国外に行くことは自明だろう。ただし、英語を多少話せるとしてもそれだけでは海外ではなかなか仕事にはありつけないことも現実なことをぜひ教えてやってほしいものである。
秋田の人口減少、特に若年層の流出はもはや止めようがなく加速し始めているのだから、この際どんどん進めて限りなくゼロに近づけるのも案外何か別の解が出てくるかもしれない。

早い時期からの英語教育の功罪は昔からよく言われていることで、英語よりもまずは日本語と日本文化という背景を学ぶべきだと筆者も強く思うが、英語を身に付けることで得することはあっても損することはあまりない。強いて言えば限られた時間を英語に振り向けることで失う他の勉強の質・量が物理的に減ることだが、それは専門性が問われるようになってからの話だろうから大した問題ではない。

英語を仕事に使えたらそれはそれで様々な道が開けるわけで結構なことだが、それ以前に英語をある程度身に付けておくことで得なことが多数ある。
その一つは、高校生レベル以上なら世界的に著名な大学の専門的な講義をタダで受けられることだ。
例えば、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)では、実験や実習やディベートやディスカッションを伴わない講義の類はほとんどオンラインのマルチメディアで学習が可能だ。入口(MIT OpenCourseWare, OCW)はここだが、基本的には大学レベルから大学院レベルまで多数の講座があり、講座によってはストリーミング以外に宿題や試験などもある。
2002年に30程のコースで始まったものだが、10年程前から高校レベルの数学、生物学、化学なども加わり、現在は約2,300のコースがあるがMITが理科系の大学だからといって講座は理科系だけではなく社会・人文系のものも多数あり、人類学、経済、言語学、哲学、音楽、舞台芸術、ジェンダー、経営といったものも多数ある。(一覧の検索はここ)

実は、筆者の会社では例えば社員さんに(彼/彼女にとって)初めてのコンピュータ言語を勉強してもらう場合に、ここのいくつかのコースを履修させている。
このElectrical Engineering and Computer Scienceだけでも350余りのコース(学部レベル)があり、それを利用してもらっている。無論、マルチメディア環境や必要な書籍等は会社持ちであるが、本気で学位でも取りたくなったときはそこからは私費でMITに行ってもらうことになる。
コンピュータ言語やコンピュータサイエンスの分野では、日本ではやたら似たような入門者向けのハウツー本が氾濫し、それを自習教材として地道にやるしか方法が無いが、MITの場合は実際に課題というかターゲットを決めてそこに進む実践的な手法であるため、一通りコースを終えると結構実務に役立つプログラミングや設計(当然最初は見習い)などが出来る場合が多い。
学習方法が日本とは全く異なることで、プログラマーやアーキテクトの育成に非常に役立つ。
そんな背景もあってか、アメリカなどでは結構レベルの高いプログラマーの前職はジャグラーでした、ボクサーでした・・・などというのはザラにある。
経験的に日本の情報処理専門学校卒や大卒などは即戦力としては全く役に立たない印象だが、本人のモチベーションは別としても、やはり教育システムと中身の充実度の違いが非常に大きい。

理科系に限らず、例えば日本の放送大学などは社会人向けの教養番組なのだろうが、コンピュータ関連の講座などはほとんど中身が無い古典のようなものばかりで、さらに講座によってはニュースのアナウンサーや政見放送のようにカメラに向かってどこかの先生が延々と話すだけでインタラクティブでも何でもなく、あれでは、見ていておもしろいわけがないし続くわけがない。
2014年から日本でもNTTドコモなどが『無料で学べる大学講座』(gacco:ガッコ)(※漬物か?と)というものをやっているが、講座も数えるほど(20程)しか無く、中身はほんの触りだけで、そこから踏み込んだ内容は有料だったりで、一部の大学の宣伝か講義する先生のアルバイト程度のものである。

何故アメリカでMITに限らずあのような大規模な無償の教育システムができるかは各種民間の財団や企業からの寄付が大きく貢献していることがあげられる。MITでは、他国の企業からの寄付講座もあり、英語以外にも支那語、トルコ語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、朝鮮語の講座もそれぞれの国の企業などの寄付で開設されている。
反対に日本では教育機関への寄付などがしにくいことがあげられる。日本では寄付するほうもされるほうも税金を取られるため寄付が普及するはずがない。金持ちの篤志家がいてもその富の使い道、配分は『お上』が独占するという仕組みだ。
教育機関が財政的に余裕が無く政府の補助金頼み、その予算は税金であり国民から幅広く集めたものを再配分しているわけだが、その税収が減少していけば教育機関もどんどん教育・運営システムを縮小せざるを得ない。駅弁大学が頑張ったところで無い袖は振れないのが現実。駅弁大学に回す予算があったらMITに日本語による講座でも開設したら良いくらいだ。
これでは日本とアメリカ(アメリカ以外にも支那や他の先進国ではどんどん増えてきている)の教育水準や教育に対する意識の差はどんどん広がる一方である。
税金による富の再配分の限界が既に現実であるにも関わらず、配分の裁量権を手放したくない政府、役人達のせいで割を食うのが教育機関という図式はそろそろ本気で改めないと日本の未来はとんでもなく暗い。

『学ぶ意欲のある若者に学ぶ機会を』という意味は本来はMITのOCWのようなものを金の無い若者に提供することであって、金も無いし大して勉強好きでもない頭脳の若者に奨学金というローンを貸し付け『大卒』という資格(しかも日本でしか通用しないような)を取らせることではない。
とにかくがむしゃらに英語を早く身に付け、海外の大学レベルの専門的な学問に挑戦し、さらにそれを資格として持つ必要があるなら進学したら良いのである。英語がカラキシ駄目だと、無償のサービスにありつけないのである。
やはり、英語を身に付けることは今後は従来以上に『得』のはずだ。

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