大変革か迷走か ~日本の学校教育~

最近、次々と文科省や有識者による諮問会議で発表される小中高の学校教育の刷新について驚くやら、今頃かとがっかりするやら・・・。
少子化が特に地方では手遅れなほど加速化しつつある今、あれこれと新しいことを進めるのは目先を変える意味で悪いことではないが、どうにも全体像が掴みにくいのと同時に、近未来の日本人、ひいては日本をどんな国にしたいのかがわかりにくい。
何年か前に武道とダンス必修化のようなものも一体どうなったのか。
数が減りつつある子どもたちが様々な施策でモルモット的に扱われるのはどうにも危うい印象だ。
我々年寄りは先がないが、子供達こそ日本の未来そのもののはずだ。


[ゆとり教育との決別]
わざわざ馳文科相が『教育の強靭化に向けて』と発表した中で2020年度からの新学習指導要領で『子供たちの未来のために、「次世代の学校」を創生し、教育の強靱化を必ず実現するとの決意』が書かれている。
具体的には、
・学習内容の削減をしない
・アクティブ・ラーニング
・小学校の外国語教育
・高校の新科目『公共(仮称)』の新設
なのだそうだが、最後に『地域とともにある学校』への転換として、
『地域と学校の連携・協働の下、幅広い地域住民等(多様な専門人材、高齢者、若者、PTA・青少年団体、企業・NPO等)が参画し、地域全体で学び合い、未来を担う子供たちの成長を支え合う地域をつくる活動(地域学校協働活動)とコミュニティ・スクールを全国的に推進し、高齢者、若者等も社会的に包摂され、活躍できる場をつくるとともに、安心して子育てできる環境を整備することにより、次世代の地域創生の基盤をつくります』
とまとめているが、義務教育課程と高校では役割が違うはずだし、どうにもピンと来ない。全国学テの結果には明らかな地域差があり、それだけ地域の差異(上下ではなく)があるのが現実。それらを無視するかのような一律の『地域創生の基盤』という発想には少々呆れるではないか。

学校教育、特に義務教育は半ば国家による強制的な教育であって、全国的に学力水準がある一定のレベルになることが要求されるものであり、極端な話、地域協働がどうのだとか年寄りや若者が関与してどうのといった視点は無関係で独立性のあるものでなければならないのではないか。政治屋のような総花的な耳障りの良い文言を並べるよりも、義務教育で徹底して詰め込むべき(時代に合った)各科目のカリキュラムとそうでないものを峻別し、それらをシステマティックに実施することが必要だ。ただし、昭和40、50年代のような落ちこぼれや浮きこぼれ対策の無い状態での実施は必ず同じ轍を踏む。

[英語教育・プログラミング教育]
以前書いたように、英語教育は確かに重要で、できるだけ早期に始めるほうが効果的なことはわかっていることだが、まともに日本語も話せない・書けない小学生レベルでシステマティックな科目として扱うのはやや無理が大きい。小学生の間はとにかく英語に触れさせることが大事で、ALTなどを使った『自由時間』的なもので耳や目を慣れさせることが良い。これは学年を区切らずに混在させた状態で行ったほうが良く、その中から英語により強い関心を示す子供を一段上のステップの英語の読み書きを含めたシステマティックな科目に引き上げたら良い。
同時に日本語や文化背景も教えないと、その辺の小学生がいきなり『オーマイガッ!』ではやはり困るのだ。

プログラミング教育についても以前書いたように、誰にでも適性のあるものではないのだから、就活で使われるSPIやC-GAB的なもので最初にある程度の振り分けが必要だ。無論、適性があるから良いプログラマーになるかどうかは別という現実もあることから、最初は大雑把な振り分けにすべきで、英語がある程度身に付いた段階(英単語に拒否反応が無い状態)になってからプログラミング教育の入門段階に進ませるべきだ。(大凡、中学生段階か?)
そうしなければ、楽しめる子供、好きになる子供など増えるわけがない。
論理的・合理的な思考は大事だが、人間社会はそういった理屈だけでは動かない。感情もあることを同程度に教えないとカタワになる。
技術的には人工知能が既に論理的・合理的な思考を超えた動きをするようになり、それが何故なのか人間が後から追いかけているかのような状態が現在の人工知能の最先端。

[義務教育学校]
平たく言えば小中一貫の9年生の学校で、今年4月から施行の改正学校教育法に基づいて全国の公立22校で開始された。いわゆる『中一ギャップ』の防止が主たる目的となっているが、9年間の一貫した教育で、6・3だけでなく4・3・2といった区切りは各校が自由に決められ、部活や一部教科の学習の開始時期を早めることもできるらしく、なかなか自由度が高そうに見える。
全国で136校が導入を既に決定しているが、その一つが秋田県井川町の小学校(児童数186人)と中学校(生徒数126人)で、それぞれ町で唯一の小学校、中学校の統合で来年度から実施だそうだ。
柔軟なカリキュラム編成で学力向上をといった文科省の理想論は理解できるし、どうせなら高校まで入れて海外の多くの国のように12年制か11年制にしたほうがいいくらいだと思うが、実際に始めるのが少子化で学校の維持が危うい、消えてなくなりそうな過疎地域からなのでは、どこか『大人の都合』が優先する単なる『事務的統合』のように見えてしまう。
全国で過疎地域も都市部も半ば強制的に義務教育学校化を進めないと、中体連の部活や様々な文化・スポーツの小学生部門や中学生部門といった従来のカテゴリ分けの現場を混乱させるだけだろう。

冒頭の[ゆとり教育との決別]は大いに結構なことだと思うが、時代に合った新しいカリキュラムにするなら、例えば、
・音楽、美術、技術、家庭科などは学校教育から除外し主要科目に集中
(除外したそれらこそ義務教育ではなく地域コミュニティで社会人参加で好みに応じて実施させる仕組みを作る。生活学などという曖昧なものは教育とは言い難い)
・国史は室町時代の終わり頃から始め、近現代史に重点を
(日本史の神話から室町時代までは選択あるいは後回し)
・世界史は地理と合わせて高校から
(黙っていてもネットその他で情報は見聞きするはず)
・数学は確率、統計、数列、行列を小学生から始め、中学から微分・積分ではなく差分・和分を
・古文や漢文は高校から
・理科は解剖なども含めて実験・実習を多くし、理論や詰め込み・暗記は高校で
・体育は武道必修、時間数を現在の倍に
などなど。
また、高校では心理学とゲーム理論の初歩を何らかの科目として取り入れることも検討して欲しいものだ。

昔の終身のような『道徳』を推す声もあるが、道徳を科目として教えられる『先生』が果たして全国にどれだけいるのかは相当に怪しいので、あまり現実的ではないように筆者は感じる。
それこそ、例えば地域のコミュニティで坊主や神父・牧師などに分散委託したほうが良さそうだ。日常的に会わない人間からの言葉のほうが何かと好都合だろう。
結局、あらゆる教育論は実際的には教師論に行きつくのだ・・・。

ブログランキング・にほんブログ村へ 
(blog rankingに参加。ご協力を。Click it!)

広告
カテゴリー: 教育・学校 タグ: , , , , , , , , , , パーマリンク

大変革か迷走か ~日本の学校教育~ への15件のフィードバック

  1. ブルーベリー より:

    G7教育相会合で 「グローバルな視点で教育を」 という共同宣言が採択されました。
    馳文部科学大臣は 「教育は未来への先行投資だ」 とのたまわっいますが、
    先進国では常識になってる 「投資教育」 を始める素振りもない。

    「あらゆる子供に機会を!」 と耳障りの良い事を言っているが、
    日本では、経済学部にでも行かない限り 「投資」 を学ぶ機会がゼロ。
    「投資」 と 「プログラミング」 どちらがより重要かは明白なのに。  

    日本では未だに 「会社は株主のモノじゃない!」 と言う輩がいます。
    そんな状態で 「経済戦争」 に勝てる訳がありません。

    • argusakita より:

      元手の要る『投資』を学ぶよりは、様々なものを『証券化』する発想と手法を学ぶ必要はありそうですね。そこに新しいビジネスの可能性もあるでしょうから。
      ただ、皆が皆その方向に行くと共産主義や資本主義のイデオロギーがぶち当たったような大きな壁にまたまたぶつかるのでしょう。

      >日本では未だに 「会社は株主のモノじゃない!」 と言う輩がいます。

      ここ10年程で日本の商法もざっくり何百条も削除され会社法などに分離されてきたり、企業(会社)も○○ホールディングスというのがやたら多くなってきていますが、こういった明確な株主(資本家)による『所有』と経営者(取締役会)による『経営』の分離が進んでいるにも関わらず、未だにオーナー企業とその労働者が企業の構成員であるがごとき幻想を抱いている人が多いので、例のパナマ・ペーパーに関する頓珍漢な感情論も出てくるのでしょう。

      支那人がトップに座り、上司が外国人などというのは珍しくなくなるわけで、日本人労働者が7,000人リストラされるそうですが、そういった現実を見て、多くの人にパラダイムシフトをしてもらいたいものです。
      日本で創業したからといって、日本企業という枠では競争に勝てない。
      三菱自を吸収した日産ですらもはや『日系企業』くらいに見ないとダメでしょう。

      とはいうものの、私は金儲け以外にも仕事の意義と楽しみを追いかけているので、ロシアやドイツの資本家からのオファーを蹴ってオーナー企業っぽいマイクロな状態で満足しています。(^^)

      • ブルーベリー より:

        2009年に与謝野財務相が 
        「会社は株主のモノ、は誤った考えで、私になじまない」 と回答していますね。 

        日本の大蔵大臣(兼金融担当大臣)ですら、そういう認識なのです。
        (彼は、東大法学部卒で通産大臣も経験しており、法律と経済に明るかったのに・・・)

        労働人口が激減する日本は 「脱工業化」 「投資立国化」 が絶対必要なのですが、
        子供の頃から投資教育で鍛えられている連中と、資本を使った競争をしてもまず勝てません。

        • FX570M より:

          レバレッジ規制をした与謝野馨氏ですね。
          FXの世界では「コンチクショー!」でしたが、ことソフトウェアの世界ではオープンソースに関心が高く、導入にも積極的でMicrosoftに抗った、珍しい政治家でした。
          評価がザックリ二分される方です。
          まだ生きてるのかな?

    • FX570M より:

      こんばんは。
      なかなかおもしろいことが書かれているブログで、時々拝見させてもらっています。
      (海外で腕試ししたいと思っていることもあるのですが)

      FXをやりながらプログラミングを本業としているフリーランスですが、

      >「投資」 と 「プログラミング」 どちらがより重要かは明白なのに。

      は、そうでもないかなと感じます。
      株などもそうでしょうが、FXで例えば妥当なアルゴリズムで1秒間に1,000回取引が可能ならあっという間に大金を作ることもまんざら夢でもないかと思っています。
      もちろん、1秒間に1,000回約定してくれる相対業者はいないので現実的ではありませんが。でも、そのアルゴリズムが良さげなものなら、そっちでも儲けられます。

      私もブログ主さん同様(かな?)、金儲けにはそんなに欲が無いので、投資よりもプログラミングのほうに惹かれます。

      • argusakita より:

        お、NVIDIA Quadroですな(^^)

        そうですね、現実には証券会社やプロフェッショナルな世界はそういった超高速取引でディールしています。
        実は、ソフトウェア以外にハードウェアでもなかなかおもしろい世界なんですよ。
        見る見る間に金が増えていくというのは実際にあることなのですが、あれを見ていると本当にマネーのあるところにマネーが集まるというのが実感できます。

        でも、どこか数字だけの虚しい世界なんですよね~。ムニャムニャ

        • FX570M より:

          >お、NVIDIA Quadroですな(^^)

          ビンゴです。
          お使いですか?

        • argusakita より:

          はい、年に2回くらいしか使わない特殊な用途のLenovoのT61pというノートに入っています。

  2. 主要教科中心というのは、教育基本法から変えないと無理です。教育の目標に、人格の完成ということも謳っていますから。ですから芸術教科も生活科も最低限は組み込まれることになります。個人的には最低限の時間では成果もたいして出せないので無くしてもいいとは思いますが。ただ、技術分野から電気分野を取り出し、中学理科では扱わないコンデンサやトランジスタ、タイマーなんかを使って電気回路実習を行い、できたらリレー回路なんかでスイッチングのオン・オフで動作を制御できること、それがパソコンにまでつながっていることをやれたらいいなと思っている。落ちこぼれがたくさん出そうですが。

    小学校は、触れ親しむ段階でもあるので、英語ではリトミックを取り入れたりして、コミュニケーション的なものを目指しそうな気がします。プログラミング言語は小学校では無理でしょうから、亀を動かしたり、パワーポイントを使わせたり、そんなところくらいしか出来ないんでないかな? 個人的に小学生のレベルを考えるとそんなところでないかなと思う。

    プログラミング教育の不思議さは、資格試験が何処にも使えない仮想言語を用いること。現実ではやっぱりC言語かな? 将来に繋がりそうな言語は。でも資格試験は仮想言語。資格をとっている人は2つの言語を覚えてすごいなと思います。

    長くなったので、歴史教育についてのコメントは後日にします。

    • argusakita より:

      こんにちは。

      そうですね。教育基本法もぜひ改正してもらいたいものです。
      その電気回路周りは、化学の知識と合わせると危ないものを作れるようになるので、学校ではどうでしょう。(^^)

      情報処理技術者試験ですが、資格試験とはいっても認定資格なので、目安にはなってもその資格が無いと出来ない仕事というのは公的なものの(発注仕様など)一部に限られ、即戦力の目安にはならないでしょうね。調理師免許があっても美味い料理が作れないのと一緒。
      どこか資格試験ビジネス&天下りの臭いが強くて・・・(^^)

      海外ではISTQBやアメリカのCIWなどもありますが、どちらかというと失業者の職業訓練時の修了段階の目安かな。
      むしろ、OracleやCiscoといったベンダーの認定資格のほうが実践的かつ給与に反映されますね、特にCiscoは最上級だと並のサラリーマンとは桁外れの待遇の違いが出ます。
      日本の資格を持っていても、英語でコミュニケ-ション取れないと話になりませんし、プログラミングに関しては、ちょっと書かせたらスキルやセンスがわかりますから資格なんて問題にしません。

      疑似言語は、アルゴリズムの理解を見るためですから仕方がないですね。(一応、C言語がわかっていれば楽かと)
      C言語はC++かObjective-Cをやっているとまだ10年は食えると思います。
      Javaよりは、RubyやPythonのほうが今はプログラマーの給料は上です。
      COBOLerも希少な存在ですが、もう何年食えるかなぁ。

      • >その電気回路周りは、化学の知識と合わせると危ないものを作れるようになるので、学校ではどうでしょう。(^^)

        言われてみるとそうですね。私は趣味のスピーカー作りに役立ちそうということで、職安で募集していたCAD講座のおまけで学習して、結構面白かったのでコメントしてみたんですが、ベルトコンベア制御のような、ややこしい操作よりももっと単純な仕掛けで◯◯のタイマーが出来てしまいますね。化学の知識も持っていれば。中学校の実験でも使う◯酸◯リウム(溶◯度の実験で使う)なんか使う気になれば使えますからね。(危ない内容なので一部伏せ字にしましたが、まだ危ないと感じる場合は、伏せ字を増やしてくださいませ。)

  3. 歴史教育についてです。

    >・国史は室町時代の終わり頃から始め、近現代史に重点を

    大賛成です。逆説の日本史で、室町時代が現在に生きている例として、文化住宅の床の間が室町時代に成立した文化であることが説明されています。伝統芸能の能や狂言もたしか室町時代に成立していたはず。室町以前は、現代社会の常識が通用しないことが多分あり得ると考えるので、ここから始めることは納得がいきます。それに室町時代後期は戦国時代ですから、関心も高そうですね。それ以前の時代よりも。

    ただ、そもそも論として、歴史学は学校で教えるだけの学問になっているのだろうかという心配はあります。

    最近、八切止夫関連を読んでいることからくる悪影響だとは思いますが、歴史学が歴史上の人物の心情(恨みなど)が原因になっていたり、歴史上の出来事の人情物とかになっていないかということが心配です。

    例えば、謙信の『敵に塩を贈る』というのは、八切止夫によれば、経済封鎖のために塩が手に入らてなくなった武田領内で、謙信側が普段より高値で売れるだろうと目論見、武田領内で商売しただけだそうですし、戦国時代は鉄砲という兵器が歴史を動かしていったことは学習しますが、火薬の材料が日本になかったため、マカオ経由で輸入しなければならなかったことは学習しないようです。そう、歴史の中に経済が抜け落ちているのです。でも、中学生に対して、現実的なことを教えすぎるのもという配慮なんでしょうか?

    • argusakita より:

      足利幕府成立に関しては皇室との関係もあり、研究・解釈は自由課題でいいと思うのですが、日本人の精神文化の根っこは世阿弥の風姿花伝が大きく影響しているように個人的には思っています。能や狂言もそうですが、やはり室町時代の東山・北山文化の価値はいろんな意味で大きいと思うのです。茶道もそうです。
      風姿花伝と利休百首は現代でも日本人なら読んで頷くことが多いと思うのです。
      そんなわけで、国史学習は室町時代後半からにしたら時間的にゆっくりできるだろうと。

      風姿花伝の英文の書籍をたまに外国人にプレゼントしています。
      禅の本は各国語で結構あるのですが、風姿花伝は英語以外は見たことがありません(私が知らないだけでしょうが)。
      日本の伝統・文化を紹介するうえで欠かせない。
      裏千家の茶道の英文テキストもなかなかいいです。(Amazonで売っています)

  4. オジーブ より:

    中学から微分・積分ではなく差分・和分を

    で思い出してしまいました。はるか昔、高3の夏休みに都内の予備校で夏期講習を受講した時に、
    その予備校の数学のテキストに三次元ベクトルにおいて両方のベクトルに垂直な位置ベクトルを求める問題があり、それを外積を使って解いていました。田舎の教科書の内積しか知らない高校生にとっては、衝撃的でした。また、知り合った都内の高校生から差分方程式で鮮やかに数列の漸化式を解く方法を教えてもらい唖然としたことがあります。落ちこぼれる生徒のことを考えると難しい面はあると思いますが、ご意見通り、これからを考えると必要かなと思います。

    • argusakita より:

      私もアナログ時代に教育を受けた者ですが、量子力学以降の現代科学はアナログという概念が無い(といっても良い)デジタルな世界で、特にコンピュータを使うことを前提にした数学でもアナログという世界は皆無です。
      ですから、微分・積分という18世紀の数学はそろそろ高校でも古典数学として選択にすべきで、どうしてもという人には差分・和分なのだろうと思います。

      内積・外積も19世紀の数学ですが、Newton力学の世界でEuclid空間で生まれたもので、Foulier級数展開とHilbert空間論が出た後(現在)では関数=ベクトルですから、Newton力学を一生懸命勉強してもそれはもはや古典ですね。

      数年前に愚娘に聞かれて内積・外積を30ん年ぶりに復習しましたが、もう死ぬまで見ることが無い単語だと思っていました(^^)。
      なーんにも役立たない勉強をしていた意味が私の中では未だに謎です。
      人生は不条理の連続だから、その不条理を受け入れる稽古だったかと。(^^)

コメントは受け付けていません。