銃社会と日本の最近の社会のどちらがマシ?

アメリカで警官による黒人射殺事件が相次いでいる。どういう経緯でああいった結果になるのか詳細はわからないが、根底にある人種偏見と銃社会の条件が揃うとああなるという典型なのがアメリカ。
何しろ警官が簡単に撃ってしまうのが日本人から見たら異常な事態なのだが、日本も含めて世界のどの国でも末端の警官というのはそもそもあまり勉強も得意ではなく、体は丈夫だがスポーツで身を立てるほどのアスリートでもなかったような人がなる職業と相場が決まっていて、あまり理性的・論理的なのが多いわけがない。それにも関わらず、『公務執行妨害』といった裁量でどうにでもなる法律に守られ、銃を持って武装しているという最悪な存在と見ることもできる。もっとも、彼らは自衛隊のように国民を守るための存在ではなく、体制・秩序を守るための存在であり、いざとなれば市民と対峙する。
ところで、この日本の『公務執行妨害』だが、保護法益は公務そのものであり公務員の身体・精神ではないことはあまり理解されていないかもしれない。

アメリカは憲法で、
『規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない』(合衆国憲法修正第2条)
とあり、これを根拠に銃を所持することが権利として認められ、購入・所持が容易なのだが、合法的な所持に関してはドイツやフィンランドも所持している人は多いし、スイスなどは皆兵制度もあるため民間の家庭には大抵銃器がある(ただし弾薬は地区の決められた場所にだけ)。ここオーストリアでも兵役中はアサルトライフルくらいは家庭に置かれている。
人口あたりではフィンランドが最も銃器の所持率が高いそうで(狩猟用もカウントされるからだろう)、2番目がアメリカということになっているが、最近はブラジルあたりが2番目ではないかと筆者は睨んでいる。(リオ五輪は相当に危ない場所で開催される)

持っていたら使いたくなる・・・という(核兵器も同様のロジックで話す)のが銃規制派のよくあるロジックだが、ある程度教養があり、『撃ったら撃たれることもある』ことがわかっている人は所持(許可)しても簡単には使わないだろうし、所持も構わないのではないかと筆者は思っている。
ダッカの事件も、もし日本人7人のうち数人が拳銃の一つでも持っていたなら、20人の犠牲者をより少なくできたのではないかとさえ思う。
海外では日本のような『安全』が普通ではない。いざとなれば、元々話し合いの通じない、話し合う意思の無い相手を殲滅することも自己防衛のためには必要な場合もあるはずだ。
ただ、個人的には剣道をやっていたこともあり、飛び道具は卑怯というつまらない感性が抜けていないため自分で拳銃を持つことは死ぬまで無いだろうとは思う。(^^)

honkanところで、銃の犠牲になった方には失礼・不謹慎だが、アメリカのように警官すら狂ったように銃をぶっ放す社会は確かに異常だが、大体犯人は捕まるか射殺されるかで決着が早くわかりやすいのだが、最近日本で続いている猟奇的なバラバラ死体やスーツケースに詰められた死体の事件などの気持ちの悪い社会もどこか陰湿なものを感じさせ、異常と言えないだろうか。
手足をバラバラにする行為自体、到底自身ではできないし、スーツケースに入って蓋を閉め鍵をかけることも自分では不可能だろう。単純に考えたら猟奇殺人事件だ。

親を殺し、子供を殺し、死刑になりたいからといって通りすがりで見知らぬ人を殺す。
銃社会は銃を規制したら事件は激減するだろう(実際フランスは2002年のナンテール市銃乱射事件以降の法改正で規制が厳しくなり激減した)が、日本の猟奇的・変質者による殺人事件は簡単には減らすことができないように感じる。
それだけ、精神的に根の深い問題を社会が抱えているという点ではアメリカよりも日本のほうが度し難いのではないか。

普通に生活していたら、どんなに『あいつぅ、こん畜生!』とは思っても殺害することはなかなか実行できない・・・と思うのが普通だろう。そもそも殺したら仕返しできないじゃないか!と思う人もいるだろう。
にも関わらず、殺したり、遺体を損壊したりを平気でできる人間というのはどんな育ち方をし、生活していたのかが筆者には全く想像できないのである。屠畜に従事していても今は一般に電気や機械を使うわけで、生き物を目の前で屠る、ましてや自分と同じ人間。想像を遥かに超える。

一時日本で、動機がおかしい無差別殺人の犯人が若い奴だったということが続いたことがあり、最近も中高生による殺人などが目につく。
こういう若い連中は育つ過程で肉体的な痛みをほとんど経験していないのではないかと筆者は想像している。
殴ったり、モノで叩かれたり、関節をこっちに曲げたら痛いといった経験や、体のこの部分は他の部分に比べて痛みの大きい場所だとか鍛えようの無い場所はここだという感覚は、いざというときの防衛・対抗手段の知識にもなるが、何しろ相手の痛みが直感的にわかるはずだ。
刃物で刺される訓練というのは出来ないが、それ以外の生身の痛さと同時に人間の弱さというものを幼い頃から学べば、他者を物理的・肉体的に痛めつけようとはなかなか思わないはずだ。内なる抑制というものはそういう経験から会得するもののはずだ。

その意味で、人間を相手にする武道・格闘技というのは五体満足な日本人なら小さい頃から男女に関わらず必修(頻度高く)にすべきものであるというのが筆者の持論だ。
痛くて泣くような経験、軽く骨折したり、傷から少し血を流したりする経験が無い限り、相手を攻撃したときの相手のダメージが想像できない。どこまでやったら死んでしまうかがわからない。これが無いから中学生・高校生が簡単に人を殺してしまう。
確か今は、中学校では武道必修になっているはずだが、指導者、場所の問題からほとんどが柔道だそうで、素人同士が組手をして最も危険な格闘技の一つが柔道だと思うが、現状はどうなのだろう。(相撲のほうがまだ安全ではないか?)

takakura-ken話が逸れたが、ある知人に聞いたところでは日本では国内に日本刀が大小合わせて約200万振(口)あるそうで、中には美術品も含まれるのだろうが、実際には市井になかなかの数の武器があるのだ。持って集まったら大変なこと(凶器準備集合罪)だろうが、日本刀で戦うのは簡単に誰でも買えるアメリカの暴力よりは、どこかフェアな感じがするのは筆者が日本人だからだろう。

簡単に殺し殺される銃社会とバラバラ死体のような猟奇的な事件や子供が人を殺す社会、どちらがマシか・・・。

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銃社会と日本の最近の社会のどちらがマシ? への5件のフィードバック

  1. >遺体を損壊したりを平気でできる人間
    歴史書では古代中国人は死後の魂を信じていないのか、墓を暴き、鞭打ったりしてますね。

    確かに最近の日本では変な事件が多いと感じます。横溝正史のミステリを連想させるような変な事件が。敗戦後の虚無感がミステリの背後に流れていたような気がしますが、現代人にそんなものがあるわけはないし、何が原因なんでしょうね。

    武道教育ですが、副教材などのため結構教育費が高額なため、現状では柔道以外無理かなという気がします。剣道は防具が結構高いですからね。

    護身術としてなら、合気道もいいかもしれないけど、文科省のホームページを見たら、
    >武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。また、武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合ができるようにすることを重視する運動です。
    とのこと。合気道は自ら相手の技にかかるようにも見えるから、ちょっと無理かな。

    • argusakita より:

      一握りのキチガイを取り上げて何でもかんでも社会背景に話を持って行くのは本意ではないのですが、若者による殺人事件に関してはやはり何かがおかしい。教育かなとも思いますが、教育論は結局は教師論ですから、そこに行くのかなとも思います。

      >横溝正史のミステリを連想させるような変な事件

      ねー。まさにそれですね。

      浜名湖でも切断された脚が見つかったとか。
      こういう事件の犯人は日本人ですかね・・・。と予断を持ってしまいます。
      犯人はクマですか?(^^)

      剣道の防具、確かに高いですね。30歳過ぎて再開したときに買った(買わされた?(^^))国産(とされる)の防具は一式50万弱でした。
      今は子供用はほとんど支那・南朝鮮製です。
      竹刀はカーボン製なら結構長持ちしますし、防具も国内で大量に作ったら安くなるでしょうに。
      橋本龍太郎(元全日本剣道道場連盟会長)がまだ生きていたら剣道必修だったろうなぁ。

  2. ブルーベリー より:

    日本も、過労死や自殺で相当死んでいます。
    実際に知人の何人かは亡くなっていますし。

    日本は内向的なだけで、安全な国ではないのかも。

    • argusakita より:

      東京の田園調布では2人、青森県警でも50代の警部が自殺だそうで、警察組織ってのは全体的には構成員もダメダメで組織もアカンというのが現状なんでしょうね。

      今はお巡りさんと言うと怒られるらしいですが、お巡りさんというイメージも既にノスタルジーなのでしょう。

      警察とヤクザは公務員かそうでないかしか違いはないと誰かが言っていましたが、ますますそんな印象ですね。

  3. END より:

    まともな感覚では理解不能な猟奇的事件は昔からあります。メディアが発達したこともあり、昔なら伏せられていた詳細が暴露されるようになり、情報量の多さから事件そのものが増えているように感じるのではないでしょうか。
     
    例えば悪質な少年犯罪。実は減少傾向にあります。子供そものもが減って草食系の割合が増えているのですから当たり前なのかもしれませんが、北関東で高校生が起こした殺人事件などがクローズアップされると、いかにも増加傾向にあるように勘違いしてしまうわけです。
     
    我が家にはたまに某宗教団体のご婦人が布教に立ち寄りますが、だいたいは最初にそうした例を挙げて世の乱れを憂いて私の興味を引こうとするのですが、こちらはそれを知ってるので「実際は昔のほうがひどかったんですよ」とお話し、お引き取り願っております。
     
    アメリカの銃社会も、結局のところメディアが市民の不安を増幅しているから―と解説してみせたのはマイケル某という映画監督もどきでしたが、日本もメディアが興味本位の報道でコピーキャットを煽る一方、その他大勢に無用な警戒心を植え付けているのではないかと疑っています。

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