現代日本人の参考書は室町時代に?

海外で外国人と仕事を中心に付き合いをしていると、日本の文化や習慣についてあれこれ聞かれたり説明をしなければならない場面というのは意外に多いものである。
しかし、大人になるまで国民全体が非常に均質性の高い島国日本で暮らすと、特に日本の文化や習慣やモノの考え方を気にせず過ごすのが普通なため、日本の生まれ育った地域と国内の別の地域で多少は言葉や食べ物などの違いはあったとしても、1億2千万の人口を抱えている日本ではそれらの違いは誤差の範囲のようなもので、沖縄を除けば本質的な伝統や文化の根っ子は共通したものを持っていることがわかる。


外国人のそれぞれの国や地域の文化や習慣と多少アナロジーしながら日本の文化や習慣を説明するには、両方のそれらをある程度理解していないと出来ないものである。
かつて、新渡戸稲造がキリスト教的視点を盛り込み武士道を西欧に紹介したが、時々その苦労をわずかながら感じることもある。
海外で生活する上で必要なのは英語と国史(日本史)と日本の文化(何か一つでもいい)だと多くの人が答えるのは全く正鵠を射ていると感じる。

近年、特に目立ってきたのは支那人や朝鮮人といった近隣国を中心とした外国人であり、既に全人口の数%にも及ぶ現実になってきた。(ロスのように朝鮮人が4、5%を超えると人種対立なども顕在化し社会の不安定を招くと言われる)
それらの異分子は我々普通の日本人が育ってきたバックグラウンドとは全く異質なものを持ち、同化しようとしない勢力も増え社会的・文化的・政治的摩擦も大きくなってきた。
そこに当然生まれてくる保守勢力という集団は、それを指導する者たちの思惑が真っ当なものだったり、実は単なる集団の頭数や声を集めるための手段として表層的な保守的思想や勘違いした愛国心を利用するだけだったりと様々である。
建前上それらの保守層は時として『日本の伝統・文化を尊重し・・・』『美しい日本の伝統・文化・習慣に根差し・・・』といった枕詞を使うが、それらの指す『日本』がいつの時代の日本を指しているかを突っ込むと案外バラバラだったりする。暗黙の内の了解であるはずの『日本』というメタファーが実は共通していなかったりするのだ。

例えば日本会議のような年寄りを中心とした保守層は明治以来のエスタブリシュメントを中心に第二次大戦以前の日本にその拠り所を求めているかのようにも見えるが、実際にはそれらの体験・経験者が既に鬼籍であり、漠然としたノスタルジーとして、”なんとなく”その時代に理想を求めているかのような復古主義にも見える。そのため、我々戦後世代にはリアリティに欠ける部分が多い。
確かに明治後半から大正、昭和初期というのは明治維新後の日本の激変期を乗り越えた後の日本独自の西欧文化の吸収や昇華(消化)や醸成が行われた時期であり、日本の歴史の中でも特異かつ重要な時期の一つと言えるが、そこに日本の本来の伝統・文化が密に詰まっているかと言うと必ずしもそうとも言えない。中途半端な西洋カブレ文化のコーディネーションや思想が多いのもこの時代である。
明治維新以降、折角定着しつつあった日本的階級社会が戦争によって瓦解し、それを再構築しようとする思想もまた日本では『保守』という言葉で隠されていることも事実だろう。実は、筆者はそのほうが日本はうまく機能するのではないかと密かに思う部分もあるため必ずしも日本会議に対して否定的ではない。

では、『日本の伝統・文化を尊重し・・・』といった場合の『日本』は歴史上いつの時代を意味するのか、あるいは『日本の伝統・文化』の手本はどこにあるのか? 現代日本人が立ち返るべき、再認識すべき時代は?と考えた場合、筆者はそれを室町時代に求めるのが案外妥当ではないかと考えている。

一般的に室町時代は200年以上継続し、将軍も15代存在するにもかかわらず、中学・高校の日本史では扱いが軽い、薄いのが一般的である。
様々な輸入文化やそれをアレンジした公家を中心とした文化・様式の開花と源平による全国的な秩序の確立が行われた平安時代、公家から武家への大変革と体制基礎作りのあった鎌倉時代、信長・秀吉・家康によって武家政権の体制確立による全国統一が行われ、その後250年以上の安定期を迎えた江戸時代などと比較して室町時代(末期の戦国時代を含めて)は何故かあまり注目されていないように見える。

その理由はいくつかあると思われるが、
・鎌倉時代に腐敗した公家が自滅し、二重支配構造が終わり、完全に武家による軍事政権にとって代わられたクーデター政権である。
・しかし新しい政治・統治機構が生まれたわけでもなく、全国統一が行われたわけでもない。
特筆すべきヒーローがあまりいない(足利尊氏は朝敵であり皇室の手前、英雄視するわけにはいかない) ※イコールNHK大河ドラマで描きにくい(^^)
多少穿った見方をすると、この時代は南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)が入れ替わり天皇を輩出し主導権争いをした時代であり、(筆者もそうだが)皇室をある意味神聖化したい者にとってはあまり好ましいとは言えない時代である。
さらに、後醍醐天皇のように幕府を倒して直接政治を行ったものの、あまり有能とは言えず足利尊氏に見限られ追い出されたといった史実は非常によろしくないため、その尊氏から始まる室町時代というのは今風に言えば皇室や皇室シンパにとっては『黒歴史』の時代と言えないこともない。
現在、ネットでもだいぶ声が上がっている今上の譲位秋篠宮を摂政にだとか次代の天皇を東宮ではなく秋篠宮へ、あるいは女性宮家創設だのといったことが現実になると、ひょっとして再び南北朝(東西朝?)のような事態が起きないとも限らないが、ここでは触れない。(無論、現憲法上はあり得ないだろうが)

惣や惣村と守護大名(これから戦国大名になったのは少数派)との対立の構図や家督・財産の相続が分割相続から単独相続へと完全に変化したことにより下剋上の風潮が高まり、応仁の乱に代表されるように局所的な紛争が数多く繰り返され、都は荒廃し、決して平和・安寧な時代ではなかった室町時代だが、実はこの時代にこそ現代に繋がる日本の伝統・文化が数多くある。

室町時代は、産業面で見ても各地の特産物が顕著に出始めた時期である。京都西陣の絹織物、尾張瀬戸の陶器、灘の酒、三河の木綿、東北でも陸奥のうるしや馬、出羽の木材などであり、農業でも二毛作が関東まで広がり西日本では三毛作も行われるようになったとされる。
定期的な市の開催も多くなり、京都や奈良では高利貸しなどの金融業も繁盛し、陸上輸送を中心とした問屋や馬借なども盛んになった。
経済の発展によって各地で門前町、港町、城下町を生み出し、町衆とよばれる商人たちによって小規模な自治まで行われるようになった。(日本的民主化の基礎はこのあたりにありそうだ)
これらを支えたのは倭寇と呼ばれる日本人を中心とした東アジアにおいて活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人達の活躍やその後の勘合貿易だったとされる。
ひょっとすると民間の日本人が積極的に海外に出て行ったのはこの時期がピーク(精神的な意味で)かもしれない。

そのような政治的不安定さ(脆弱さ)の一方で経済発展した室町時代は現代に繋がる日本文化の基礎を多く確立したといえる。
・足利義満の頃の金閣寺に代表される北山文化(豪華絢爛)
・義政の頃の銀閣寺に代表される東山文化(和室の原形となる書院造)
禅宗や鎌倉仏教の広範な普及、禅宗は枯山水の庭園様式にも影響
観阿弥・世阿弥による猿楽能や農民の伝統的な田楽を取り入れた能楽や狂言の大成
・世阿弥による芸術論としての『風姿花伝』(これは日本人必読の書)
・侘び茶として広まった茶道や華道の確立
和歌→連歌
・弓術、馬術、礼法の確立(小笠原流元祖はこの時代とされる)
これらが日本人の精神文化に与えた影響は大きいというよりも、ほとんどの基礎がこれらにあると言っても過言ではない。日本人らしさといったノルムの原点はほとんどが室町時代にある。

nomenまた、庶民の文化としても、一寸法師、浦島太郎、さるかに合戦といった御伽草子による勧善懲悪や因果応報的教訓や京都の祇園祭に代表される各地の盆踊りや正月や節句のしきたりもほとんどが室町時代からである。

江戸時代の元禄文化も日本の文化や日本人の精神文化に大きく寄与しているが、その原点はやはり室町時代であり、江戸時代の様々な文化は大げさに言えばそれらの派生、サブカルチャと言えないこともない。
ついでに言えば、現代の政治やビジネスの組織論や戦略論が語られる場合によく引き合いにされる兵法の六韜なども、元々は10世紀前後に日本に入ってきたとされるが、16世紀の戦国大名がその実践を行うことで普及した側面もあり、これもまた室町時代である。

政治体制が国内外の対立勢力による不安定さを抱え、皇室制度もどこかに揺らぎが見える状態にもかかわらず、民間の経済・産業は成長・発展し、精神文化も含めて文化全体が多様さを生み出し地方も発展(ある意味、”地方創生”)した室町時代は、どこか現代日本にもあてはまるように見える。

現代の若者たちには、倭寇がどんどん海外に出て行ったようなチャレンジ精神とバイタリティが欲しいと思う。
そういう筆者は既にそんな歳ではないので、せめて室町時代の精神的エッセンスを会得したいと思い、思いついたときは『敦盛』の舞を真似たりしている。
(いつか、どこか観客のいない本当の舞台でこっそり舞ってみたいものだ(^^))

※TVドラマや映画の影響のせいか信長の舞による『敦盛』が有名だが、信長が好んだとされるのは能の『敦盛』ではなく、幸若舞(こうわかまい、能や歌舞伎の原型)の『敦盛』あるとされる。


art-n-zoot今日の一曲
1981/9
Art Pepper and Zoot Sims “The Girl from Ipanema”(Album:Art ‘N’ Zoot)
ジャズのスタンダード、イパネマの娘。アート・ペッパーのアルト、ズート・シムズのテナーの掛け合いが素晴らしい。録音は1981年だがアルバムが出たのは1995年。


 

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現代日本人の参考書は室町時代に? への5件のフィードバック

  1. ちょっと前に、『ちょっとの間休止します』という感じの英文がトップに表示されていましたので、どこかから削除命令か何かきたのかなとちょっと心配してましたが、再開したようなので一安心です。

    文化的には、たしかに室町時代が現在まで続いていると考えるべきでしょうね。

    下克上の頃の戦国大名は、権威のない状態での支配ですから、いわば暴力団が民衆を支配しているようなものですが、後醍醐帝の頃は民衆からソッポを受けていたんでしょうか? 天皇よりも武家支配のほうがまだマシだと。歴史には弱いのですがなんとなくそんな気がします。
    まあ、それよりも、戦力(支配力)がないのに、戦力担当の武士を保護しようとしなかったことが、没落の原因でしょうけど。

    八切止夫の著作を読み始めているところですけど、定説とは違うことがたくさん出すぎてなかなか先に進めないでいます。

  2. 反中かーさん より:

    こんばんは。
    2週間ぐらい記事が出なかったので、いつかのようにお体の調子かなと思っていましたが、再開されたようで何より。
    当方、結構楽しみにしているのですよ(笑)

    風姿花伝は確かにいろいろと学ぶというか、これはここに書かれていたんだ!と驚くことがありますね。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  3. argusakita より:

    元匿名希望の傍観者さん

    削除命令なんて来たって・・・(^^)
    ちょっと仕事が忙しくなったのが主な理由です。長引くと思ったのですが・・・。
    ご心配おかけしました。

    守護大名から戦国大名になったのは案外少ないのです。
    島津、畠山、細川、山名、大内、武田など数えるくらい。さらに戦国大名で室町後に近世大名として生き残ったのは島津や上杉や結城など、これまた少数。
    やはり守護大名からの流れを持つ大名は権威があったのだと思いますが、最終的に徳川が平定したところに大きな流れの転換があったのでしょうね。
    後醍醐帝はいろいろ説がありますが、やはり口先だけで実務型ではなかったのでしょうね。
    室町時代は文化だけでなく社会の不安定さも現代と似ていると思っています。

    >八切止夫の著作

    凄いの読んでますね(^^)。おもしろいですか?

    反中かーさん さんへ

    ご心配おかけしましたが、落書きを楽しみにしないでください。(^^)
    風姿花伝は英語訳も沢山あって、こういう類は単語をすごく選ぶと思うのですが、中にはこの英単語で表すのはどうかなと思うものもあります。
    日本人が英語を学ぶのにも非常に良い教科書のように思います。

    • >>八切止夫の著作

      >凄いの読んでますね(^^)。おもしろいですか?

      本筋から外れてますので、返事しにくいのですが、良くも悪くも常識を覆す著作です。
      おそらく古本を扱うネットショップで、作品社が再録し出版したものが入手可能でないかと思いますけど、(コピー防止のために一部に意図的な誤字・脱字のある)ネット上の作品集もあります。
      http://www.rekishi.info/library/yagiri/

      作者は自殺失敗者であり、ペンネームの八切止夫は腹切を止めた男という意味らしいです。そのせいか敗残者の恨みというか悲しみというか、世の中を斜めに見ている感じがそこはかとなく漂っています。

      メインの著作は、光秀関連で、ここは読む価値があると思います。名古屋出身らしく、信長、秀吉、家康については地元のかすかな伝承も拾い集めているみたいで一般的な信長・秀吉・家康像とは一線を画している気がします。

      『徳川家康は二人いた』という作品では、出だしで、首実検のために首を洗いクシで髪を整える下人が、払い下げられた首から脳みそを取り出し、丸めて天日干しし、漢方薬として売り生計を立てていたということが書かれています。現在の漢方薬のイメージからは想像できません。

      ですから読む人を選ぶので、どんでん返しが面白いと思う人にはハマるかもしれません。

      本筋から外れる話題、長々失礼しました。

      • おっと、読み返したらちょっと違ってました。

        漢方薬を作っている唐人に払い下げられた首を売って生計を立てていた。

        と訂正しておきます。

        脇道の話題でさらに修正、すみません。

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