成長戦略とブレーキ

先日、
補助金はプロ農家だけを対象とすべき
に書いたように、再来年から始まる減反廃止に伴う生産量の目安を秋田県が示す方針を明らかにした。生産量の目安は、全国の需要見通しに県の販売シェアを乗じて算出するそうで、算出法は国が減反の目標配分を決める方法を踏襲するのだそうだ。(そもそも、県の販売シェアは減少しているのではないか?)
減反廃止によって意欲のある農家を応援し、そうでない農家の退場を促し、農地集約や日本全体としてコメに関する『成長戦略』(その通り行くかは疑問もあるが)を仕掛けても、肝心の地方、特に『コメの秋田』といっただいぶ草臥れた看板を掲げる農政しかできない秋田県の場合は、農業や農家全体への将来的な前向きな展望よりも、目安を示すことによって単に農家に対する影響力を温存しておきたいという思惑しか見えない。しかもその目安は国の方法を踏襲だそうで、独自性も何も工夫が無いのは担当部局が既に機能不全状態なのだろう。

最近の国の施策をニュース記事などで見ると、『自民党左派政権』という表現が頭を過り、いつから日本はこうも社会主義的な施策に傾倒し、マスコミもそれが必ず是であるかのような報道を平気で行い、国民も異を唱えることをしないようになったのか少々不思議に感じることが多い。自民党に関しては、保守・タカ派&社会主義経済政策が現状だろうから、思想は右で行動は左というハイブリッドである。

コメの減反廃止の件もそうだが、秋田の場合は、
タクシー減車という官製合理化カルテル
と昨年書いたように、国交省が指定した地域でタクシーの過当競争を防止するため、業界に対して新規参入や増車が禁止・制限されるものが開始されたようだ。昨年指定された秋田市や仙台市に続いて、今年6月には6都県8地域で追加指定され、既に全国27地域と増えている。
本来、タクシーの新規参入は許可制で届出だけで増車も可能だった。これが2013年の改正タクシー特措法でこの禁止・制限が導入されたのだが、秋田市の場合は、今年10月に秋田交通圏タクシー特定地域協議会(三浦広巳会長)が、636台(8月末時点)から52台分減らす削減計画を東北運輸局に提出したものの、実際の各社間の調整がどうなっているのかは不明だ。

GDPの大きな部分を占める国内消費(内需)が冷え込んでいるため、現政権はどちらかといえば供給側よりも消費拡大(当然、税収増も目論んで)のために消費者サイドで施策を打ち出している。(大企業は扱いが別でダブルスタンダードだが)
コメの件は、減少の進むコメの消費量も考慮し、需給の調整を市場と消費者に委ね、少なくとも建前は消費者が安くて美味いコメを入手できる目線で考えているはずで、そのためには減反廃止によって市場による競争を促し、やる気のある農家を応援し、無い農家は退場してもらう施策は理に適っているはずだ。
同じようにタクシーも参入の自由化やサービス・料金での競争を促すとともに、タクシー事業そのものが都市部でしか採算が合わないことや地方では自家用車の利活用を目指しているはず(要するに白タク)で、本来ならば自由競争に任せたら良いはずだが、業界に圧力をかけて台数の調整を行わせている。今の日本のタクシーや代行の規制の状況ではUberなどは入る余地は無い。

同じように『民泊』も様々な制限をかけて旅館業界のしょーもない既得権温存を目論んでいるフシがある。(上品に『業界の秩序』という向きもあるが)
つまり、現政権が様々な成長戦略を打ち出しても、それを監督官庁や地方自治体がそれにブレーキをかける方向で邪魔をしているのである。
これが純粋に社会主義的思想に基づいてのものであれば、それなりに一理無いこともないが日本では供給側は公営企業ということもなく、実態は監督官庁や地方自治体の民間企業に対する監督権あるいは利権といった既得権温存と業界団体への天下りポストの確保が露骨に見えるため、眉をしかめてしまうのである。

もっと市場原理や競争原理に委ねるべきといったことを書くと、竹中平蔵のような新自由主義者と見なされ、批判論者から反対の意見が出るのだが、竹中平蔵に関しては筆者から見た場合、新自由主義とその施策が悪かったのではなく、自分のポジションの露骨な私的利用や私腹を肥やしていたとされる部分への嫌悪であり、日本が唯我独尊で存在し得ないのであれば、新自由主義そのものは今のあるいは近未来の日本には(生き残りのために)必要ではないかと思える。
それらの導入は、停滞し活気の無い、特に地方では間違いなく必要なものである。
きっちりはめ込まれたパズルを動かすには、1枚2枚外してから動かす必要があるのと同じように、『成長』には必ず脱落や退場が伴う。ゴム風船に空気を吹き込んで全体が同時に均等に膨らむような『成長』など現実にはあり得ない。これを計画的に行っていけると夢想を抱いたのがかつての共産主義だろう。

日本人の道徳観として、その市場原理や競争原理がオーバーシュートし敗者的なものが死屍累々といった状況は日本の社会では起きにくいだろうと筆者は考えている。自由競争が過当競争となる前に『中庸』の感覚が自然なブレーキをかけるはずだと筆者はナイーブに信じている。昨今は格差、格差と旧社会党の好きな単語がよくネタになるが、日本の社会に存在する格差などは他国と比較して、少なくとも現実に見える範囲ではさほど強烈なものではない。強いて言えば、子供の貧困(6人に1人)問題だろうが、日本では道端で学校にもいけない児童がウロウロしていたり、小中学生の年齢の子供が海賊版CDを売っていたり、信号待ちの車に新聞を売りつけに来たり、肉体労働をしている状況は無い。(だから日本はまだまだ豊かな国だと思われている)

しかし、昨今のソン・ジョンウイ(孫正義)のようなアナキスト的政商が金にモノを言わせて好き勝手に動いたり、パチンコ屋の元締めみたいなマルハンの親分が勲章もらって好きなことを言っているのを見ると、日本人とは異なる道徳観・倫理観の連中が動く場合は注意が必要で、かつてのバブルを生みだした金の亡者達が存在するというある種の懸念があるのも事実だ。もし、結果的にワリを食うことになるのが日本人の場合は、そこへのセーフティネットは絶対に必要である。

puzzle日本は元々は社会主義国ではないはずで、超高齢化し活力の無い今、成長や発展をするためには従来の枠組みをある部分取り払ったり壊したりして自由な動きシロが必要である。動きシロができればそこに市場原理や競争原理が導入でき、成長の可能性が生まれる。
動きシロ確保のためといって、パズルのパーツをそれぞれ小さくして隙間が出来たとしてもパズルを動かすことができる隙間まで大きくすることは不可能だろうし、それを行えば各パーツがどんどん小さくなるだけで、全体として委縮することになる。
コメやタクシーや民泊などに関して行われる『調整』はそれと同じで、消費サイドのメリットを潰している。これでは変化や成長や活性化を期待できるはずがない。
無論、そこで結果的に退場を余儀なくされる場合もあるはずで、セーフティネットはそこにこそ必要で、財政出動はそこに充てられるべきである。
奇麗ごとを言わずに、成長戦略とは痛みを伴うものだという前提で進まなければ成長はあり得ず、ましてやブレーキをかけるのではどんなに戦略を立てても意味が無い。

それにしても、コメ、タクシー、民泊に限らず、バター、小麦・・・様々な同じ構図が見える日本はやはり『制度疲労』しているのだろう。成長が困難なはずである。


coldplay_-_christmas_lights今日の一曲
2008
Cold Play “Christmas Light”
既にクリスマスも終わったが、イギリスのロックバンドCold Playのクリスマスソング。クリスマスを前に失恋した男の気持ちを歌っているかな(?) まあ、こんなもんでしょう、若い頃は。(^^)


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成長戦略とブレーキ への2件のフィードバック

  1. なんとなくですが、小畑知事の頃の流れのまま秋田県は今まで来ているのかなと感じたりします。
    大館市と合併した田代町に小畑勇二郎記念館なるものがあり、ちょっとだけ覗いてきました。
    小畑県政のスタートは赤字財政からのスタートで、大部分の県民である農民の所得向上のために、いい苗作り運動なんかを行っていたみたいです。今では信じられないんだけど、当時の農家は苗作りの時期に、ビニールで囲って夜保温するなんていうことを知らなかったみたいです。これじゃ生産性も上がるわけがない。そして、行政任せの農政のスタートのきっかけになったのかもしれないと考えたりしてます。本当は農家自ら研究しなければいけないんですけどね。

    小畑知事の後半は生涯学習絡みになりました。経法大とか美術工芸学校とか学校づくりと公民館づくりになりました。
    多分その頃は学校・公民館は必要性があったんでしょう。でもおそらく小畑県政の最後の方は、生涯学習学よりも秋田にはない産業(誘致企業)を入れる活動が必要だったのかなと思います。

    • argusakita より:

      小畑県政の時代の禍根は地場産業になるような産業を作らなかった(作れなかった)ことかもしれませんね。
      八橋油田や黒鉱と森林資源、コメで結構活気があり、インフラも道路建設中心だっただろうと思いますし、コメ増産よりもオランダへの戦後賠償が本当の目的だった八郎潟干拓、これらで結果的にガッツリ土建屋体質を県内隅々まで作り上げてしまったのでしょう。

      もし、八郎潟干拓時に、将来の大規模農業やコメ作りの省人化などを見超す先見があれば、大潟村や秋田市近辺にクボタ、イセキ、ヤンマーあたりの農業機械企業と工場を持ってきただろうと思います。
      昭和30年代の誘致企業に関して県の広報誌(昭和43年 あきた)などになかなか興味深いことが書いてあり、座談会の記録などを見ると、やはり近視眼的というか、現在の衰退した秋田などは誰も思いもよらなかったのだろうことがよくわかります。

      学校に関しては、当時は農学部を持つ大学よりも経営や政治といったものに人材を振り向けたかったのかもしれません。

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